東京要請行動/犠牲の強要断つ出発点 不退転の決意示そう


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 いったい他のどの都道府県が、このような取り組みを余儀なくされるだろうか。
 米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備撤回を求め、県内41全市町村の首長またはその名代が27日、一斉に上京し、東京で集会を開く。翌日も打ちそろって首相官邸はじめ関係省庁に要請する。沖縄はもちろん、全国でも前代未聞であろう。
 異例の行動は、そこまで取り組んで見せないと無視され、黙殺されると恐れるからだ。日本全体への強烈な不信感の表明でもある。この民意をくみ取らなければ基地問題は極めて危険な局面に入る。政府はそう認識すべきだ。

扱いの落差
 沖縄では全市町村長と県知事が配備反対を表明し、全市町村議会と県議会が反対決議を可決した。間接民主主義の手続きを尽くして意思表示したと言える。
 加えて、昨年9月には復帰後最大規模の県民大会を開き、直接民主主義の手法でも意思を示した。にもかかわらず、米軍はオスプレイを強行配備し、日本政府もそれを容認した。沖縄には民主主義を適用しないという宣言に等しい。
 昨年2月、米側から在沖海兵隊の岩国への一部移転を打診された政府は即座に断り、玄葉光一郎外相(当時)は岩国市長に「お願いするつもりはないので安心してほしい」と述べた。長年、基地被害に苦しんだ沖縄こそ、その言葉を切望してきたのではなかったか。
 実は普天間の海兵航空団司令部は1976年に岩国から沖縄に移転してきた。占領統治下でもない、施政権返還後の話だ。本土から沖縄へは容易に移転するが、逆は政府が拒絶する。扱いの、あまりの落差にがくぜんとする。
 8月には森本敏防衛相(同)がオスプレイを一時駐機中の山口県知事に「大変な心配、迷惑をかけ申し訳ない」「沖縄への安定的な展開のためだ」と告げた。沖縄には半永久的に置こうとし、わずか2カ月置いた地域にはわびる。これほど歴然とした違いは、やはり差別と呼ぶほかあるまい。
 オスプレイ配備撤回を求める県民の意思が固いのは、このような差別的取り扱いの認識があるからだ。それは民主党政権時代に露見したが、以前の自民党政権時代の積み重ねの結果でもある。
 全国的には、自民党政権に回帰したことを挙げて、沖縄の世論がいずれ軟化すると見る向きもあるが、誤りだ。政権が変わったから差別的取り扱いを甘受するという人はいるまい。

振興策の詐術
 安倍晋三首相は政権交代早々、普天間飛行場の辺野古移設を進める意向を示した。今回の総選挙で当選した自民党候補4人全員が県内移設に反対したにもかかわらず、である。沖縄の民意を踏みにじろうとする点において、民主党政権時代と何が違うだろうか。
 閣僚ら政府関係者の態度には、振興策をちらつかせて移設容認を迫る気配が見え隠れするが、それもまた、差別にほかならない。
 翁長雄志那覇市長が本州四国連絡橋や九州新幹線を例に挙げ、「四国、九州は国の犠牲(になり)、迷惑を掛けられたから、整備されたわけではない」と指摘したのは本質を突いている。他県では基地と関わりなく整備する施設を、沖縄では基地を受け入れない限り造らないと宣言するに等しいからだ。
 「抑止力」、「地理的優位性」などという実態のない空虚な言葉で県内移設を説明するのは既に無効だ。振興策の誇示も差別に等しい。その意味で、沖縄への押し付けを可能にする政治的資源は、もはや使い果たされたのである。
 政府は事態を正しく認識すべきだ。そうすればオスプレイ配備も辺野古移設も撤回するほか道はあるまい。
 今回の要請行動は犠牲の強要と差別を断つ、沖縄の尊厳を懸けた闘いだ。われわれ県民はその出発点に立っている。歴史的意義を認識し、不退転の決意を示そう。