「主権回復」式典 過重負担押し付け祝宴か


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 政府は、1952年のサンフランシスコ講和条約発効の節目である4月28日を「主権回復の日」とし、式典を開催すると閣議決定した。安倍晋三首相は「日本の独立を認識する節目の日だ」と意義を強調するが、沖縄からすれば式典開催に強い違和感を覚える。

 沖縄、奄美など南西諸島、小笠原諸島が日本から切り離され、米軍による異民族支配が始まったこの日を、沖縄は「屈辱の日」として語り継いできた。政府がそうした歴史を顧みず「主権回復」をことほぐのは、県民を愚弄(ぐろう)するような話だ。
 米軍は条約発効後、沖縄の住民が暮らしていた土地の強制接収を始め、基地拡大を加速した。53年4月、真和志村(当時)の安謝、天久、銘苅に土地収用令を発令し、その後も伊江、読谷、小禄、宜野湾の各村に武装兵を動員し「銃剣とブルドーザー」で住民を追い出し、家屋を次々となぎ倒した。
 27年間の過酷な米軍統治を経て、沖縄の施政権は72年に日本に返還された。だが、県民が望んだ「核抜き本土並み」という米軍削減は進まず、今でも沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中している。
 日米両政府は、県知事や県議会、県内41市町村の全首長や議会が反対する普天間飛行場の辺野古移設に固執する。米海兵隊MV22オスプレイは傍若無人に、沖縄や日本本土の空を飛び交う。日米地位協定で特権的地位を保障された米軍は日本国内で基地の自由使用をほしいままにする。主権は「回復」どころか、脅かされたままだ。
 安倍首相は沖縄の反発を受け、「わが国の施政権の外に置かれた苦難の歴史を忘れてはならない」と述べた。7日に式典開催を表明した際は、沖縄に全く言及しなかった。首相自身も「苦難の歴史」を失念していたのではないか。
 首相は「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」と主張する。それを言うなら、沖縄が今も基地過重負担にあえいでいることを知らない、知ろうとしない国民が増えていることこそ問題だ。
 繰り返すが、沖縄を政治的質草にして独立を果たし、戦後68年間も在日米軍基地の大半を沖縄に押し付けながら、「主権回復」を祝うなど、理不尽極まりない。「4・28」の教訓に何を学ぶか、根本的な問い直しが先決だ。