東電最終報告 再稼働の免罪符にするな


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 東京電力は、福島第1原発事故について「天災と片付けてはならず、防ぐべき事故を防げなかった」と総括し、経営陣の意識改革などの対策を盛り込んだ原子力部門改革の最終報告書をまとめた。

 自戒や反省の文言こそ並ぶが、東電が経営再建の柱と位置付ける柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を強く意識していることは疑いようがない。
 東電の広瀬直己社長は「過信やおごりを一掃し、安全の取り組みを根底から見直す」と強調したが、企業体質の変革につながるかは不透明と指摘せざるを得ない。
 報告書は原発事故について「炉心溶融し、広域に大量の放射性物質を放出させる深刻な事故を引き起こしたことを反省する」と、過酷事故の引き金となった全電源喪失を招いた責任を認めた。
 原発の再稼働差し止めを求める住民訴訟などで、東電は「想定外の津波が原因」と主張していただけに、従来よりは踏み込んで自らの責任に言及したとは言える。
 しかし、事故原因については津波が来る前に地震により配管が破損した疑いも消えておらず、今回の報告をもって一件落着とはいくまい。低姿勢で殊勝な態度に見えるからと言って、閉鎖的で官僚的と指摘された企業体質が改善されたと見るのは早計だろう。
 実際、事故から2年が経過した3月18日に第1原発で発生した停電は、公表が3時間遅れ、全面復旧までに2日を要した。公表遅れは、原子炉への注水に異常がなく水温が制限値に達するまでに時間的余裕があったためとされる。
 報告書はこの点についても「立地地域の心情への感度が著しく鈍く考え方や判断の尺度が社会とずれていた」としたが、これは2年前の過酷事故を招いたおごり、過信と同根ではないか。これでは原発事故から何も学んでいないと批判されても言い訳できまい。
 経営再建に向け東電改革は不可欠だが、最終報告書が、原発再稼働に向けた免罪符にはならないと認識すべきだ。
 東電の企業体質が変わったと、社会に認められたいのならば、被害者と真摯(しんし)に向き合い、賠償や除染、廃炉など事故収束に向け、今まで以上に誠実に取り組む必要がある。それこそ旧態依然の「電力ムラ」「原子力ムラ」と決別する覚悟が求められる。巨大な事故リスクを伴う原発事業からの撤退も選択肢から排除すべきではない。