基地返還と県 独自計画策定に進む時


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 在沖米軍基地の存在は沖縄の経済発展、街づくりの足かせとなって久しい。米軍による強制接収の陰影が刻まれた本島中南部の基地は、経済発展の潜在力が大きい、平たんで優良な土地ばかりだ。

 これまでに打ち出された基地返還計画は、跡利用の主体かつ受益者である県民の意思が反映されず、日米両政府が一方的に決めてきた。5日に発表された嘉手納基地より南の6施設の返還・統合計画もそうだ。
 総じて、基地所在自治体の意向はくまれていない。返還時期が遅く、返還面積の約8割が県内移設条件付きであることに、不満が噴き出している。仲井真弘多知事が計画の修正を求めたのは当然だ。
 しかし、沖縄の将来を左右する基地返還の道標を県自らが策定し、政府に対する対案として示さなければ、知事の修正要求も聞き置く程度にあしらわれかねない。
 県は、地域安全政策課をつくるなど、基地負担軽減の在り方を積極的に発信する“攻めの基地行政”を進めている。さらに一歩踏み込んで強い意思を示すには、日米合意への対抗軸となる県独自の基地返還計画を持つべきだろう。
 大田昌秀県政は、1995年の少女乱暴事件の後、「基地のない沖縄」を描く国際都市形成構想と2015年までの基地返還を構想したアクションプログラム(AP)を打ち出した。日米両政府を揺さぶった大田県政は「地方自治のトップランナー」とも称された。
 返還と不離一体の経済振興施策を両輪に据え、沖縄県政が初めて打ち出した基地返還を促す主体的な戦略が日米両政府にインパクトを与えたことは間違いない。
 だが、普天間飛行場の県内移設を容認した保守県政が政府との協調を基軸に置く中で、国際都市形成構想とAPは不発に終わり、「沖縄の交渉力は弱くなり、1周遅れになった」(佐道明広中京大教授)という耳の痛い指摘もある。
 2000年代中盤の在日米軍再編をにらみ、県が基地返還計画を打ち出す準備は大詰めまで進んだが、当時の県首脳の政治判断でお蔵入りした。
 安全保障は国の専管事項であり、地方自治体が米軍基地返還に言及すべきではないという論があるが、過重な基地負担を抱える沖縄には当てはまらない。地元主体の基地返還計画策定に踏み込めば、沖縄の本気度が示され、日米両政府と渡り合う力が増すはずだ。