天皇の式典出席 政治利用ではないか


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 サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に政府が開催する「主権回復の日」式典に天皇陛下が出席する。政府主催とはいえ、世論が分かれる式典に出席を求めたことは大いに疑問である。

 沖縄戦をはじめ過去の歴史から、県民は天皇陛下が政治に関与することに敏感だ。昭和天皇が、米軍による沖縄の長期占領を望むという「天皇メッセージ」を伝えたことを、県民は知っている。これは「明白な『政治的行為』」(豊下楢彦関西学院大教授)に当たる。
 しかし、今の天皇陛下は「政治的な関与をされているとは思わない。非常にいい形で、象徴としての役割をされている」(孫崎享元外務省国際情報局長)との見方は、国民の多くもうなずけるのではないか。
 琉歌に親しみ、ことしの「歌会始の儀」でも万座毛、恩納岳を詠んだ。沖縄に意を用いていることは過去の会見からもうかがえる。
 70歳の会見で天皇陛下は「沖縄の歴史をひもとくことは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした」「沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければと努めてきた」と振り返った。
 昨年12月の会見でも「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています」と述べている。
 沖縄の「苦労」に理解を示す天皇陛下に、沖縄が反発する「主権回復の日」式典への出席を求めるのは、天皇陛下自身の意にも反するのではないか。
 「式典は沖縄への差別であり、いじめに等しい」という高橋哲哉東大教授の指摘はうなずける。天皇陛下出席について「国論が分かれる時に出席を促すのは政治利用。招待を受けた全国の知事や国会議員に出席するようプレッシャーがかかる」とも批判した。
 民主党の桜井充政調会長は「天皇陛下が来られるので、代表が出席を検討している」「苦渋の選択」と述べた。「プレッシャー」になっているのは明らかだ。政府の意図はそのプレッシャー効果なのだろうか。
 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、一口で言えば非政治的な地位」というのが内閣法制局の憲法解釈だ。首相をはじめ国会議員には、憲法を尊重する義務がある。