自民党公約 破棄は民主主義の否定だ


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 あっさり公約を破るのなら、そもそも公約を口にすべきではない。公約破棄が許されると考えるのは、有権者に選択を仰ぐ民主主義の価値を否定することになる。

 自民党の西銘恒三郎衆院議員に続き、同党の島尻安伊子参院議員も普天間飛行場の辺野古移設容認を公言した。県外移設を公約にして獲得した議席だ。公約破棄の後も議席に居座ることに正当性があるだろうか。民主主義に照らせば、破棄するなら両氏とも辞職するのが筋だ。
 西銘氏は選挙公約で「普天間飛行場の危険性を除去し、県外移設を求める」と明確に述べていた。わずか4カ月前のことだ。忘れたわけではなかろう。
 島尻氏も公約に「県民の総意である県外移設を求め、民主党政権が県民の頭越しに進める日米合意の無効を訴える」と掲げていた。安倍政権も頭越しは変わらないのだから、「無効」のはずだ。自党が政権に就いた途端、「無効でない」と言うのなら、ご都合主義以外の何物でもあるまい。
 島尻氏は「沖縄の取るべき道は間違いなく日米が合意して進めようとしている道(辺野古移設)だと確信している」と述べた。本当に確信しているなら、なぜ辞職して有権者の審判を仰がないのか。西銘氏も「決断を公にして政治生命がなくなっても悔いはない」と言うのなら、信を問うべきだ。
 近年の選挙公約の扱いは鴻毛(こうもう)のごとく軽い。マニフェスト(政権公約)という単語はすっかり悪いイメージが染みついた。その現状こそが政治倫理の堕落である。
 自民党県連と党本部が夏の参院選の選挙公約をめぐって、つばぜり合いをしている。県議選で党本部と異なる公約を掲げた民主党は政党の体を成していないと批判された。自民党が、党本部と県連で一本化しようとすること自体は、政党として正しい在り方である。
 問題は一本化の方向だ。海兵隊が県外に出た途端、機能しなくなるはずはあるまい。そうであれば、今でも過重負担の沖縄に基地を強いる正当性はどこにもない。党本部が県連の「県外」主張を取り入れ、米国と再交渉すべきだ。
 「ローカルマニフェスト」と称して、食い違いをそのまま残すことを「落としどころ」とする考えも浮上しているが姑息(こそく)すぎる。自民党はいずれにせよ一本化して堂々と信を問うべきだ。