屈辱の日 真の主権をこの手に 民主主義の正念場だ


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 沖縄や奄美、小笠原が日本から分離された1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効から、61年がたった。

 沖縄住民が「4・28=屈辱の日」として語り継いだ節目を、安倍晋三首相は「わが国の完全な主権回復」の日と再定義し、事実上の祝賀式典を開く。対米従属外交や沖縄の基地過重負担、県民の苦痛を正視しない政府の式典強行に強く抗議する。
 式典開催を機に憲法改正など安倍氏が目指す「戦後レジーム(体制)からの脱却」も加速しよう。この国の民主主義や立憲主義の正念場だ。国民一人一人がこのことを銘記すべきだ。

 政治的質草

 沖縄戦で本土防衛のための「捨て石」となった沖縄は、4・28を境に再び「小の虫を殺して大の虫を助ける」ための政治的質草となった。
 首相は式典開催を表明した際、米国統治下の沖縄の苦難に全く触れなかった。式典の閣議決定時に「苦難」を口にしたものの、県民の屈辱感や無念にどの程度思いを致しているのか甚だ疑問である。
 頻発する米軍の事件事故、復帰後5800件余に上る米兵などによる犯罪、日米地位協定の不平等性、北方領土問題など未解決の問題が山積している。4・28をもって「日本の完全な主権回復」と捉えるのは誤りだ。
 4・28が県民にとって「銃剣とブルドーザー」による強権的な土地接収、過酷な米軍支配の源流であることを軽く見て、日本の独立を祝う無神経さを憂う。
 沖縄分離の背景として、昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた「天皇メッセージ」が影響したとされる。戦後史研究が示している。
 一方で今の天皇陛下は昨年12月の会見で「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています」と述べた。
 皇室に対する県民の感情は複雑だが、沖縄の「苦労」に理解を示す天皇陛下のお立場を思う時、沖縄が反発する「主権回復の日」式典へ天皇陛下の出席を求めるのは陛下ご自身の意に反するのではないか。安倍政権による天皇の政治利用を危惧する。

 対岸の火事か

 第1次安倍内閣で教育基本法改正、国民投票法制定、防衛省昇格など成果を挙げたものの退陣により頓挫した「戦後レジームからの脱却」を、安倍首相はこれから仕上げるつもりだろう。
 自民党は、今回の「主権回復記念日」を足場に自主憲法制定に邁進(まいしん)すると明言している。いきおい、戦争放棄をうたう憲法9条を含む全面改憲への動きが加速しそうな雲行きだ。
 気掛かりなのは、巨大与党や改憲勢力による力任せの政治が常態化することだ。既にその萌芽(ほうが)は、沖縄で見られる。
 県民の大半が反対する米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設計画や海兵隊輸送機オスプレイの沖縄配備の既成事実化で、強権的な手法が先鋭化している。
 この国は民主主義国家であり、軍国主義、全体主義の国ではない。「大の虫」の身代わりとして、沖縄をなお踏みつけにするのか。県民にも本土住民にも地域の命運を自ら選択して決める、自己決定権があるはずだ。
 県内では日米による基地維持政策を「植民地政策」と捉え、沖縄の真の主権回復には独立や特別な自治が必要との意見も増えている。日米はこうした事態を真(しん)摯(し)に受け止め、米軍基地の過重負担や人権蹂躙(じゅうりん)状況の解消に努めるべきだ。
 本土の政治家、報道機関、国民にも問いたい。沖縄で国が民意を無視している。民主主義は否定され、人間の尊厳も傷つけられている。これは対岸の火事か。