祝賀と抗議の溝 許されない新たな屈辱 沖縄の辛苦なくす主権を


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 「万歳」と「がってぃんならん(絶対に許されない)」。東京と沖縄の対照的な唱和を通し、「主権回復」と「屈辱」の埋め難い落差がくっきり浮かんだ。

 沖縄や小笠原、奄美大島を米国の統治下に差し出した上で、日本が主権を回復した日である4月28日を事実上祝う政府主催式典が東京で開かれた。61年ぶりである。
 天皇陛下の退席時に、一部の出席者が「天皇陛下、万歳」と叫ぶと、安倍晋三首相ら多くが呼応した。憲法改正や国防軍創設をにらむ首相が強行した式典に対し、「天皇の政治利用」との批判がくすぶる中、思慮を欠いた振る舞いが飛び出した。

空虚な首相式辞

 安倍首相が盛んに言及してきた「沖縄への配慮」は、共有されずじまいだったのだろう。主権者である国民より、国家を重んじる安倍政権の性格が式典に反映した。
 首相は「沖縄が経てきた辛苦に深く思いを寄せる努力をなすべきだ」と呼び掛けたが、沖縄の反発に押された後付けの式辞は、説得力が乏しく、空虚さが漂った。
 首相は、沖縄が求める本土への負担分散などには一切言及しなかった。普天間飛行場の県内移設やオスプレイの強行配備など、一層の基地負担を押し付けられている沖縄の現在進行形の「辛苦」をどう和らげるのか。
 基地問題で日米合意に何の疑問も感じない思考停止状態では、問題が解決するはずがない。沖縄の現実に目を背けたまま、「主権回復」を口にすべきではない。
 一方、政府の式典に抗議するため、宜野湾市で開かれた「屈辱の日」沖縄大会には、幅広い年代の1万人超(主催者発表)が押し寄せ、熱気が渦巻いた。
 「黙っていては認めたことになる」(稲嶺進名護市長)など、登壇者の発言は危機感がみなぎっていた。安倍政権への抗議にとどまらず、沖縄の自己決定権と不可分の「真の主権」を国民の手に取り戻す決意に満ちていた。
 中頭地区青年団協議会は3日間、未明まで議論を尽くし参加を決めた。金城薫会長は4・28が「屈辱の日」と呼ばれていることを知らなかったと告白した上で「沖縄だけでなく、国民一丸となって解決を模索する一歩にしたい」と訴え、ひときわ大きな拍手を浴びた。
 沖縄の大会で見えたのは、自らが置かれた不条理をはねのける意思を共有し、果敢に異議を唱える主権者としてのあるべき姿だ。

非対称際立つ日米

 沖縄の中止要求を押し切った政府式典は、沖縄社会が基地過重負担の源流と正面から向き合う機運を高め、多くの県民が戦後史への認識を深めた。政府は、米兵事件・事故の被害が後を絶たない積年の怒りを内包する沖縄の「虎の尾」を踏んだと言えよう。
 普天間飛行場の県内移設容認に転じた自民党の県選出国会議員などを通し、沖縄の民意の分断を図る動きがあるが、この時期に「主権」の在り方に深く向き合った沖縄社会の強さは増した。政府は「がってぃんならん」に込められた民意を受け止めるべきだ。
 仲井真弘多知事に代わって式典に出席した高良倉吉副知事は首相の式辞に対し、「県民の経験と異なる点はあるが、沖縄の問題に向き合った発言は理解できた」と述べたが、物分かりが良すぎるイメージを与えてしまう危うさを禁じ得ない。主権をめぐる沖縄との認識の断絶をどうただすのか、明確に注文すべきだった。
 沖縄に大部分の負担を負わせた「日米同盟」のイメージは両国で異なる。米国は日本を保護下にあると見せ掛けつつ、独立国としての対米交渉能力を弱める仕組みを維持してきた。沖縄を犠牲にした安保体制に安住したまま、日本は主要政策の大半で米国に異を唱(とな)えない。非対称性が大きすぎる。
 真の主権回復に向けた道筋は、沖縄の民意を反映した、基地負担の大幅軽減を米国に正面から突き付けることなしには切り開けまい。