核の不使用賛同拒否 被爆国の役割捨てるのか


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 「日本国民は、恒久の平和を念願し(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(略)国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」

 スイス・ジュネーブで開催中の核拡散防止条約(NPT)再検討会議第2回準備委員会で日本政府が「核兵器の人道的影響に関する共同声明」への賛同を見送った。冒頭の引用はよく知られた憲法前文の一説だが、今回の日本政府の姿勢はこの崇高な理念にも逆行し、唯一の被爆国として国際社会の失望と不信を買う行為と言えるのではないか。
 70カ国以上が賛同した共同声明は核使用の非人道性を強調し「いかなる状況下でも核が再び使用されないことが人類の生存に利益となる」と訴えた内容だ。日本外務省は「いかなる状況下でも」の削除を要求。修正による賛成を模索したようだが、折り合わなかった。賛同を拒んだのは、どんな状況でも核兵器を禁ずるとなれば米国の「核の傘」に頼る国策の否定につながると判断したからだろう。
 確かに、日本周辺の安全保障環境は予断を許さない情勢が続いている。北朝鮮は相変わらず国際社会の制止を無視して核実験を強行し、威嚇や挑発を繰り返している。石垣市の尖閣諸島の領有権を主張する中国も核兵器を保有する。
 緊張緩和に向けた不断の外交努力を重ねる中で、民間も含めた周辺諸国との信頼醸成に努め、「核の傘」依存からの脱却を目指していくほかない。だがそもそも今回の共同声明は、「核が使われないことが人類の利益」という、普遍的で常識的な内容を述べているにすぎないのではないか。
 日本は昨年10月の国連総会でも核兵器の非合法化を促す声明案への署名を拒否したが、今回は核兵器の「非合法化」の記述はない。唯一の被爆国である日本の賛意を得ようと、起草国の南アフリカやスイスが苦心した結果だが、この配慮にも応えきれなかった。
 被爆地の広島や長崎からは失望と批判の声が上がった。日本は過去にも核の国際決議に賛同を拒んできたが、本来は世界の核軍縮世論を主導する立場にあるはずだ。日本と同様に米国の「核の傘」にある北欧諸国が昨年の非合法化声明に署名している例を出すまでもない。ここでも米国の顔色をうかがってばかりいるとするなら、余りに情けない。