あまりにも軽すぎ、あまりにも理不尽だ。判決を聞き、そんな感想をどうしてもぬぐえない。
小学生だった義理の娘に対する性的暴行の罪に問われた被告(31)の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部が一審の懲役7年の判決を破棄し、懲役6年を言い渡した。「量刑をそのまま維持するのはいささか酷」と判断した。
市民感覚と隔絶しているとの感を否めない。人権をめぐる世界標準の考え方から日本の法制度がいかにずれているかも示していよう。これを機に、性暴力をめぐる日本の法制度の問題点に真正面から向き合いたい。
減刑した理由はこうだ。被告は賠償命令に従いお金は払ったし、被害者の母の実名を新聞が報じたから被告に社会的不利益が生じた。だから酷だというのだ。
賠償命令に従うのは当たり前の話だ。被害者とその母は勇気を持ってこの犯罪の重さと被害者支援の重要性を訴えた。それが減刑につながるなら、被害者は泣き寝入りするほかない。理不尽な、転倒した論理ではないか。
被害者は「暴力をふるわれた。泣いてもやめてくれませんでした」「犯人へ。絶対に許せない。死ぬまで刑務所に入っていてください」と懸命に訴えた。その結果の減刑に、納得できる人がいるだろうか。
性暴力に対する日本の量刑が低すぎることはつとに指摘されている。2005年施行の改正刑法で法定刑は引き上げられたが、それでも強姦罪は3年以上の有期懲役にすぎず、執行猶予が付くこともある。強盗罪は5年以上だから執行猶予は原則あり得ない。千円を強盗した犯人の方が往々にして刑が重くなる。女性の尊厳より金銭に重きを置いているのは明白だ。
裁判員裁判で市民感覚が反映され、強姦致死傷は重罰化したが、致死傷が付かないと裁判員裁判にならない。裁判員裁判を避けたいがゆえに傷害の事実を伏せることもある。現行制度の矛盾だ。
児童への性暴力は欧米では重罪だ。犯人は一生、衛星利用測位システム(GPS)を身体に装着されることもある。その是非はともかく、それに比べると今回の判決はいかにも軽い。刑法の再改正も検討すべきだ。
被害者保護の仕組みも整えたい。早期に適切な援助を受ければ回復も早いことが分かっている。性暴力被害者ワンストップ支援センターを沖縄にも早急に設立したい。