飛行差し止め論 基地被害救済に一石投じた


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 米軍嘉手納、普天間両基地の周辺では、遮りようのない米軍機の爆音が日々、住民生活に重くのしかかっている。

 だが、忍耐の限度を超え、違法性が認定された爆音であっても、この国の裁判所は、米軍の運用を「支配の及ばない第三者の行為」と位置付け、最も効果的な救済策である飛行差し止めを認めない。
 こうした中、1994年2月に第一次嘉手納基地爆音訴訟の判決を下した那覇地裁沖縄支部の裁判長だった瀬木比呂志氏(明治大学法科大学院専任教授)が、飛行差し止めを可能とする法理を判決文の草稿に記していたことを明らかにした。
 瀬木氏は著書の中で、「重大な健康侵害が生じた場合には、差し止めも認められるという一般論を立て、判例に(…略)穴を開けたいと考えていた」と述懐している。
 沖縄支部の裁判官官舎は、嘉手納基地周辺を飛び交う米軍機の爆音にさらされている。深刻な爆音禍を肌で感じた元裁判官が、“憲法番外地”の存在を許している司法の在り方に一石を投じた。注目すべき論である。
 結局、直前に出た厚木基地訴訟の最高裁判決が米軍機の騒音差し止め自体を「失当」と判断したことでためらい、「差し止め可能」の論理は日の目を見なかった。
 もし、「瀬木判決」が示されていたなら、日米安保条約と国民の基本的人権のどちらが優先されるべきなのかという本質的論争が深まっただろう。
 日米安全保障条約に基づく米軍機の運用をめぐり、国民の人権救済の最後のとりでであるはずの裁判所は、高度な政治性を帯びた問題には立ち入らないとする「統治行為論」に逃げ込み、飛行差し止めの道を閉ざしている。
 爆音被害は拡大再生産されているが、歯止めをかける術がない。劣悪な生活環境を容認することは、司法の怠慢以外の何物でもない。
 これは、米兵事件・事故の負担感を増す根っこに横たわる日米地位協定の改定を聖域視し、対米交渉に踏み出すことを拒む外務・防衛官僚や政治家に通じる病弊である。
 本紙の取材に対し、瀬木氏は「安保も重要だが、国民の基本的人権が優先されるべきだ。裁判は国民のためにある」と強調した。
 過剰な対米追従の下で基地被害が温存されている。司法と政治の在り方を改めるべき時が来ている。