高江通行妨害訴訟 表現の自由が二の次とは


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 東村高江の米軍ヘリ着陸帯建設工事への反対活動をしていた住民に対し、国が通行妨害禁止を求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部(今泉秀和裁判長)が妨害禁止を命じた一審の那覇地裁判決を支持し、住民の控訴を棄却した。住民の活動を「違法な所有権侵害に当たる」と判断した。

 基本的人権を十分尊重すべき司法が、北部訓練場の一部返還に伴う着陸帯新設への住民の非暴力的な意思表示を封じた。公平・公正な判断とは思えず、極めて遺憾だ。
 控訴審は、住民の抗議が「表現の自由」か、違法な「通行妨害」かが最大の争点だった。高裁那覇支部は、現場作業員の間で短時間手を上げたり、座り込んだりした住民の反対活動を「表現行為としての側面を有する」としながらも、結論ではその不利益が国が「受認すべき限度を超える」と判断。こうした表現が複数見られる。
 しかし、判決文からは反対活動の「表現行為」の危険性について個別・具体的に検討した形跡が見当たらない。単に国の主張に最大限寄り添っただけでないのか。
 住民側は、今訴訟を表現の自由に根差した活動の萎縮を狙い権力側が提訴する「スラップ訴訟」だと主張。判決は、判例など根拠も示さず「萎縮目的ではない」と判断した。いかにも説得力が乏しい。
 一審判決は「司法権の行使によって、紛争や背後にある社会的実態の抜本的解決を図ることができるとは考え難い」と国の対応に疑問を呈した。だが、控訴審判決はオスプレイ配備反対など県民世論のうねりは眼中にないかのようだ。
 今訴訟は、工事を加速したい国が、生活環境と自然を守る粘り強い住民運動をけん制する目的で強硬手段に出たと見るのが自然だ。司法がなぜ、こうした市民感覚を持ち得ないのか理解に苦しむ。
 もう一つ解せないのは、判決で公衆を公道から排除する理由として国の土地の所有権侵害が指摘されたことだ。公共の場で、表現の自由より所有権を優先することは、基本的人権の尊重を重視する憲法への挑戦にほかならない。
 これを自民党の憲法改正草案の先取りと見る向きもある。基本的人権を制約する原理を「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」へ変更を目指している点だ。今回の判決が、三権分立や立憲政治の後退につながってはならない。