婚外子差別 何が正義か考えるべきだ


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 婚外子の相続分を嫡出子の半分とするのは妥当か。20年余も問われ続けた問題にようやく答えが出る。民法が定めるこの規定が憲法に反するかどうか争う審判の弁論が最高裁大法廷であった。大法廷を開くのは憲法判断や判例の変更をする場合に限られる。「違憲」との判断が下るのは確実だ。

 むしろ遅きに失したと言えよう。「法の下の平等に反する」という婚外子側の主張は当然だ。最高裁は速やかに差別撤廃を判示してほしい。
 この規定は明治時代の1898年に設けられ、戦後の民法に引き継がれた。本来は婚外子側にも一定の相続を認め、保護するのが狙いだったという。1995年に最高裁大法廷が「合憲」と判断した際にもその認識を強調している。
 だが、だからといってそれを「合憲」の根拠とするのはおかしい。制定の動機が問われているのではなく、法の規定が妥当かどうかが問われているからだ。
 よく言われるように、相続分を平等にするのは世界的な流れである。先進国でこの種の規定を残すのは日本だけだ。国連の委員会も日本に再三、是正勧告している。
 しかし、それが改正すべき理由では必ずしもない。国際的な潮流のいかんにかかわらず、それが正義か否かを考えるべきなのだ。
 百歩譲って「伝統的家族観」を重視するとしても、その「家族観」が保護すべき対象は婚姻関係の当事者に限るべきだ。子どもは生まれることに何の責任もなく、どんな境遇の下に生まれるかも選べない。選択の余地がないのに差別的扱いを受けるのは不当そのものだ。
 最高裁はこれまでも少数意見では民法の規定に疑義を呈してきた。「違憲」にまで踏み込まなかったのは、「司法ではなく立法府が解決するのが本来の在り方だ」と考えてきたからだろう。
 だが法が違憲か否かを判断するのが最高裁の役目である以上、その判断を回避するのは責任の放棄に等しい。その意味で、今回の姿勢の方が「本来の在り方」と言えよう。
 この問題で国会は「抵抗勢力」であり続けた。96年に法制審議会が相続分を平等にする民法改正要綱をまとめた際も、法案のもう一方の柱である夫婦別姓導入に一部議員が反対し、法案提出に至らなかった。だが問題の放置は許されない。違憲決定を待たずして立法府でも解決を図るべきだ。