参院選 憲法(下) 人類の到達点放棄するのか


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 基本的人権の尊重は日本国憲法の三原則の一つだが、自民党の改正憲法草案はこの点に関する重要な変更を含む。参院選はその変更の是非を問うことになろう。

 草案は何より天賦人権説を否定しているのが特徴だ。生命、自由、幸福追求といった基本的人権は、人類が生まれながらに持つ侵すことのできない権利という概念を、現行憲法は徹底して貫く。だが草案はその「天賦人権説に基づく規定を全面的に見直す」(自民党憲法改正草案Q&A)と宣言する。
 13条の変更が典型だ。これら基本的人権の尊重について現行憲法は「公共の福祉」に反しない限り、という条件を掲げるが、草案はこれを「公益及び公の秩序」に反しない限り、と変更した。
 一見、似たものに見えるが、憲法学の解釈では全くの別物だ。「公共の福祉」であれば、個人の人権を制限できるのは別の個人の人権と衝突する場合のみ、だ。「公益・公の秩序」となれば「国や社会の利益・秩序が、個人の人権より大切」ということになる。
 21条の、集会・結社など表現の自由も、現行憲法は一切の留保条件なしに保障する。だが草案では「公益・公の秩序」に反しない限り、という条件付きとなる。
 何が公益で、どんな行動が「秩序を乱す」と判断されるのか。決めるのは国であろう。すると、例えば基地移設反対の県民集会も取り締まりの対象で、政府を批判する論考を書けば投獄される。そんなことも合憲となりかねない。
 戦前の大日本帝国憲法も「日本臣民ハ法律ニ定メタル場合を除」くなどと、言論の自由に留保条件を付けていた。草案はそれと論理構造がうり二つである。
 18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」も、草案は削除した。これにより徴兵制が可能になるとの解釈が一般的だ。拷問禁止の36条も「絶対に禁止する」から「絶対に」を削った。本則はともかく例外的には拷問も可能と解釈できる。
 草案は大規模災害や有事の際に内閣が法律と同じ効力の政令を制定できるとする。国会の審議なしに、だ。国民がそれに従う義務も定める。戦前の戒厳令と同じという批判に対し「Q&A」は否定するが、否定の根拠は示していない。
 天賦人権説という人類の到達点を放棄してよいのか。その是非を徹底して考えたい。