加害明言せず 過去の過ちを直視せよ


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 安倍晋三首相が68回目の終戦記念日の全国戦没者追悼式の式辞でアジア諸国への加害責任を明言せず、例年の式辞にある「不戦の誓い」も文言に含めなかった。中国や韓国などアジア諸国が反発している。戦前の軍国主義日本の悪夢を呼び起こし、警戒感を抱かせたのは極めて遺憾だ。

 1994年の村山富市首相の式辞以降、歴代の首相は全国戦没者追悼式でアジア諸国への加害責任を反省し、不戦の誓いを明言してきた。戦後50年の節目に出された村山談話でも、先の大戦について「国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」とし「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。
 安倍首相も第1次内閣当時の2007年の式辞ではアジア諸国への加害責任を認めていた。しかし、第2次内閣発足後の今年4月、村山談話について「そのまま継承しているわけではない」と発言した。その後、基本的に継承していると軌道修正したが、侵略の定義は「歴史家に委ねたい」と言うなど、過去の政権とは異なる歴史観に立っているとしか思えない。
 さらに安倍政権は集団的自衛権の行使容認など安全保障政策を大きく変えようとしている。武器輸出三原則撤廃の議論も加速化させ、敵基地攻撃能力の保持にも前向きな姿勢を示している。自衛隊の国防軍化も公言している。戦争ができる国づくりを企図していると思われても仕方がない。首相が式辞で述べた「世界の恒久平和に、能(あた)うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」の言葉も空疎に聞こえる。
 安倍首相は戦後70年の15年に新たな首相談話を発表するようだ。政治や外交は過去から続く言葉の蓄積の上に築かれる。植民地支配と侵略を認めて謝罪した村山談話を覆せば、日本は国際的に孤立するだろう。「平和国家」の金看板をかなぐり捨てるような愚行は許されない。
 この1年、尖閣諸島や竹島をめぐる問題で中国、韓国との関係は過去最悪と言えるほど冷え込んだ。外交的解決によって東アジアの安全保障環境の改善を図るべきときに、日本の首相がこれに水を差すような言動をしてはならない。安倍首相は、侵略戦争の過ちを直視し、今からでも日本の加害責任を丁寧に説明すべきだ。