墜落ヘリ飛行再開 県民軽視も甚だしい


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 あまりにも軍事を優先させ、県民の生命と暮らしを軽視する行為だ。最低限の要求すら受け入れられないこの理不尽な状況がいつまで続くのか。強い疑念と怒りを抑えることができない。

 米空軍嘉手納基地所属のHH60救難ヘリコプターが、県民の強い反対を押し切って訓練飛行を再開した。宜野座村のキャンプ・ハンセンで同型機が墜落事故を起こしてからわずか11日。事故原因も突き止められていない中での強行である。
 米空軍は墜落事故後、同型機を点検し「訓練飛行を安全に実施できる」として再開したが、とても納得できるものではない。
 事故原因が究明されない中での飛行再開に、県民からは「常識的に(対応を)お願いしたい」といった声が上がった。至極まっとうな感覚だ。事故原因が分かり、再発防止策が講じられるまでは飛行訓練を見合わせる。それが常識的なルールであり、その順守を訴えるのは最低限の要求だろう。
 米軍は県民の最低限の要求にも配慮できないで「良き隣人」を決め込むのか。米軍の無理解や無配慮をとがめない日本政府の姿勢にもあきれるばかりだ。訓練再開に際しては、県民の最低限の要求によりも、明らかに米軍の言い分に最大限の配慮を示している。
 しかし、こうした対米追従の姿勢が、米軍の沖縄に対する植民地意識、占領意識を助長し、県民の安全軽視の訓練を横行させているのだ。日本政府はそのことをもっと深く自覚すべきだ。
 最低限の要求も聞き入れられない、常識的な配慮も示されない中で、垂直離着陸輸送機オスプレイの追加配備が強行されるなど、基地機能が強化されていることに危惧を覚える。惨禍が繰り返されないかとの不安が消えない。
 宮森小学校へのジェット機、沖縄国際大学へのヘリなど、戦後数々の米軍機墜落事故の恐怖は県民の脳裏に深く刻まれている。
 空に軍用機を見るたびに、轟(ごう)音を耳にするたびに、いつか住宅地域に墜落し、県民が犠牲になるのではないかとの恐怖が押し寄せてくる。
 「狭い沖縄で飛ばすこと自体間違っている」。訓練再開後、HH60ヘリが急旋回を繰り返す様子を見た住民からはそんな声も上がった。大方の県民の実感だろう。
 沖縄の土地も県民の心も、基地負担の限界に来ている。