秘密保護法案 国民主権と民主制の否定だ


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 国家機密の情報漏洩(ろうえい)を防ぐという名目の特定秘密保護法案を、政府は秋の臨時国会に提出する構えだ。28年前、大きな批判を受けて廃案になった「国家秘密法」(スパイ防止法)案より、さらに幅広く情報を統制する内容である。

 政府がすべきことはむしろ逆だ。福島第1原発事故では放射能汚染を予測する情報が伏せられ、住民が避難先でさらにひどい被害に遭う例すらあった。秘密管理よりむしろ情報
公開の徹底こそが必要ではないか。
 法案は(1)防衛(2)外交(3)安全脅威活動防止(4)テロ活動防止-の4分野で「特に秘匿が必要な情報」を「特定秘密」に指定し、漏らした公務員を罰するという内容だ。
 これはあまりにも多くの問題をはらむ。何を秘匿するか政府が決める仕組みだからだ。正義感ゆえの内部告発も公益を図る良心的な情報提供も、政府にとって都合が悪ければ政府が処罰の対象にできるということである。秘匿対象選定が妥当か国民は検証できない。
 例えば「防衛」名目で防衛相が秘密指定すれば、在沖米軍基地で起きた環境汚染を伏せることも可能だ。1996年には米国から伝えられていた沖縄へのオスプレイ配備について、13年後に渋々公開するような政府を、いったいどうすれば信用できるのか。
 原発事故の原因や放射線量も「国民の不安をあおり、公共の秩序を害する」として秘匿されかねない。密約を繰り返し、在外公館のワイン購入リストまで秘匿するような政府に、秘匿の権限をさらに与えてよいのか。
 自民党は「基本的人権を侵害しない」という文言を加えることで報道の自由を守ると説明している。だが公務員だけでなく「影響を与える身近な人」も調査対象だ。例えば政府の不正を告発する方法を公務員と記者が相談すれば「共謀」になり、記者が告発を説得すれば「教唆」になり得る。そもそも法律の存在自体が告発者を強く萎縮させるだろう。
 憲法の大原則は国民主権だが、重要な問題が伏せられたままで適切な判断ができるはずはない。法案は国民主権と民主主義の否定にほかならない。
 背景には、軍事情報を提供する条件として米国から法整備を求められたという経緯がある。日米軍事一体化がこの法案の本質なのだ。
 大本営発表で情報が統制された戦前に回帰してはならない。