日米首脳会談 屈辱外交を脱するときだ


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 安倍晋三首相はオバマ米大統領との会談で、米軍普天間飛行場について「名護市辺野古への移設で難局を打開したい」と述べた。

 移設に強く反対する沖縄の民意は「難局」なのか。民意をくんで対外折衝に当たるのが本来の外交だ。首相の考える国民の民意の中に、沖縄の民意は明らかに入っていないのだろう。認識の出発点が誤っている。
 今回の日米首脳会談にはいくつもの疑問がわく。真っ先に浮かぶ疑問は、国論の割れる事案なのにたやすく約束するありようだ。
 首相は集団的自衛権の憲法解釈見直しに触れて「日米同盟強化を見据えたもの」と説明し、環太平洋連携協定(TPP)の年内妥結へ向けた協力を確認した。
 いずれも国論が真っ二つに割れている事案だ。なぜ今、対外的に打ち出すのか。米国に約束したという既成事実をつくっておき、それをてこに「国際公約だ」などと述べて強行突破を図る算段ではないか。それなら、手法として本末転倒である。
 これらは国民的合意が存在していない。国民は首相に全権委任などしていない。少なくとも国会の議論を経るべきではないか。
 シリアへの武力行使についてもそうだ。首相は「大統領の考えは十分理解している。重い決意と受け止めている。米国こそが非人道的行為を食い止めるという強い責任感に心から敬意を表する」と述べた。米国は早速「我々がやろうとしていること(武力行使)に(日本側から)広い意味での支持表明があった」と宣伝に使った。
 米国は、法律上必要の無い上下両院の事前承認を求めている。英国も軍事介入を容認するかの動議を下院に提出、否決された。
 これに対し日本では国会の審議すら始まっていない。国連が安保理決議なしの武力行使に反対する中、「支持表明」と受け取られる言葉を国会審議なしに発することが許されるのか。
 これから出てくる野党の意見など考慮に値しないと言わんばかりで、巨大与党のおごりも感じる。
 日米首脳会談は日本側が熱望したのになかなか実現せず、今回もない予定だったが、シリア情勢で米側に合意取り付けの必要が出てきたら途端に実現した。そこで簡単に支持をにじませるのは、あまりの対米屈従であろう。そろそろ自立した外交を始めてはどうか。