石垣教育長発言 沖縄戦語り部への冒とく


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 石垣市教育委員会の玉津博克教育長は、沖縄の平和教育の在り方について「戦争の悲惨さを強調する教育となっている。その弊害は戦争に対する嫌悪感から派生する思考停止と言える」と述べた。

 沖縄戦を風化させまいと長年にわたって培われてきた沖縄の平和教育を、「弊害」と決め付け否定する乱暴な発言であり、看過できない。同市議会での答弁であり、用意周到な発言であることがうかがえる。
 68年前の沖縄戦は、地域住民を巻き込み、「ありったけの地獄を集めた」(米軍戦史)と表現される。沖縄における平和教育は、凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦の実相と教訓を次世代に語り継ぐと同時に、平和の尊さを学び、この平和を人類が等しく享受できる社会をつくる手だてを考えることに意義がある。
 学校現場では、児童や生徒らが地域のお年寄りから沖縄戦の体験談を聞く機会も多い。激烈な地上戦で肉親や親族を目の前で失い、地域社会が崩壊する経験が悲惨でないはずがない。そうした体験が沖縄で何ら特別ではないことが、むしろ戦争の悲惨さを物語る。
 沖縄における平和教育の原点は、
戦争がいかに悲惨で愚かしいことかを伝えることにあり、弊害などでは決してない。戦争は絶対悪であり、嫌悪感以外にどのような感情を持ち得るのか。玉津氏の発言は、沖縄戦の「語り部」に対する冒とくだ。戦争の悲惨さの継承を「弊害」とする指摘は、全国の戦争体験者に対する冒とくでもある。
 玉津氏は、沖縄の平和教育を「弊害」とした理由に、自身が高校で関わった戦争遺品展に対するある生徒の感想文を挙げた。しかしながら「平和教育の内容が単純化し、戦争に対する恐怖感の植え付けのように感じる」とする1人の生徒の感想だけをもってして、沖縄の平和教育が思考停止をもたらすと決め付けるのは、現在の平和教育を全面否定するための牽強(けんきょう)付会の観を禁じ得ない。
 発言の背景には、玉津氏が主導し、保守色の濃い育鵬社の教科書採択を進めた「八重山教科書問題」に通底する政治的思想が透けて見える。
 議会答弁で玉津氏は「平和教育の在り方を点検、確認し、工夫、改善を加えたい」と述べたが、平和教育に政治的視点での介入は許されず、学校現場に無用な混乱をもたらしてはならない。「弊害」発言を直ちに撤回すべきだ。