脱線事故無罪判決 企業責任不問は時代に逆行


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 尼崎JR脱線事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の歴代3社長に対し、神戸地裁は無罪判決を言い渡した。

 乗客106人と運転手が死亡した公共交通機関の大規模事故で、経営トップの刑事責任が認められるか注目されたが、司法は「事故発生を具体的に予見できず、結果の回避義務もない」と、個人としての過失責任の有無を厳格に判断した。
 組織ではなく個人の過失責任を前提にしている刑法上の限界はあるが、これほどの重大事故で企業や経営トップの責任が認められないのはやはり疑問が残る。
 今回の公判で検察官役の指定弁護士は、懲罰的な社員教育や利益優先、安全軽視のJR西日本の企業体質が事故原因の背景にあると追及した。遺族らの思いを体した「市民感覚」の主張だろう。
 しかし判決は、企業体質については一切触れなかった。あくまで個人の過失責任を問うとしても、真相を究明する司法の在り方として、これでよいのだろうか。
 最近になってJR北海道やJR四国でレール幅の異常を放置するなどの不手際が相次いで発覚している。まさに公共交通機関の企業体質が問われている。仮にそこで事故が起こった場合、本当に個人の責任だけで済ましていいのか。
 そのことからしても、法の仕組みを考え直す時期に来ている。重大事故を起こした企業や経営トップの責任を問えるようにするのは時代の要請とも言えよう。
 欧米などで定着しつつある「組織(法人)罰」も検討すべきだろう。実際、脱線事故の遺族らからも声が上がっている。
 イギリスでは2007年、過失によって重大事故を起こした企業などの法人に罰金刑などの刑事責任を問う法律が制定された。それによって、事故の発生も減少するなどの効果もあるという。
 米国では、事故原因究明と再発防止策を優先する立場から刑事責任は追及しないものの、民事訴訟で企業に巨額の賠償を科する懲罰的な仕組みがある。事故原因究明と再発防止を図る上で、刑事責任を問うべきかの議論は分かれるが、企業責任を厳格にする姿勢に変わりない。
 無罪や免訴判決が続く強制起訴制度の見直しを求める声も上がっているが、本筋はあくまで企業責任の在り方だ。「市民起訴」の意義までが損なわれてはならない。