10・21県民大会18年 総決起の意義 心に刻もう


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 1995年のきょう、在沖米軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直しなどを求めて「県民総決起大会」が開催された。

 あれから18年。県民の訴えは前進しただろうか。否と言わざるを得ない。米海兵隊の新型輸送機MV22オスプレイが県民の反発を押し切る形で米軍普天間飛行場に配備されるなど、むしろ基地機能強化が進んだというのが実感だ。
 沖縄への差別や県民の犠牲の上に安全保障体制を築こうというこの国の構造自体が変わっていないのだ。理不尽な構造を思い知らされ、「沖縄は日本にとって何なのか」といった疑念を深めた年月でもあった。
 しかし県民は、この理不尽さ、不条理をいつまでも受け入れて後世に残すわけにはいかない。あの日の県民総決起大会で何を思い、何を誓ったか、あらためて思い起こし考える機会にしたい。
 総決起大会は言うまでもなく、3人の米兵による少女乱暴事件に対し、沖縄の積年の怒りや不満が結集する形で開催された。
 しかし、その後も米兵による同様の事件は後を絶たず、それを引き起こす根本的な原因である基地自体にも大きな変化はない。過重な基地がある限り、また同様の事件が起こる危うさ、不安を抱えたまま県民は生活しているのだ。
 普天間飛行場の返還問題でも、日米両政府は名護市辺野古に新たな基地を建設して移設するという受け入れ難い条件を付け、この立場を変えないでいる。
 これは明らかな失政だ。普天間問題膠着(こうちゃく)化の最大の要因が移設条件にあることを日米両政府はいい加減に気づくべきだ。早急に見直し、新たな解決策を見いだす時機に来ている、と強く訴えたい。
 辺野古移設計画は正念場を迎えている。移設に向けて県知事の埋め立て許可を得ようと、政府は硬軟両様で民意の分断を図ってくるだろう。県民の覚悟と結束力が問われる場面が続く。その際、10・21の県民総決起は原点の一つとなるはずだ。
 「10・21」は「国際反戦デー」でもある。ベトナム戦争反対の日本発の訴えが国際世論に波及した記念日である。とりわけ、ベトナムへの出撃拠点となった沖縄にとっては忘れてはならない日だ。
 普天間移設をはじめとした沖縄の基地問題も国内外世論との連帯が欠かせない。二つの「10・21」の意義を再度、心に刻みたい。