日本版NSC 「戦争放棄」に背くな 憲法、民主主義の劣化危惧


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 侵略戦争を教訓に不戦の誓いを立てた戦後日本。民主主義と日本国憲法の理念を大切に戦後社会を生きてきたこの国は、二つの法律と引き換えに「戦争放棄」をうたった平和憲法を捨ててしまうのか。

 安倍政権が、臨時国会での成立を目指す日本版国家安全保障会議(NSC)創設法案と、情報漏えいをした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案のことだ。
 憲法の3原則である平和主義、基本的人権の尊重、国民主権と衝突する「悪法」は制定すべきではない。民主主義の劣化を危惧する。

重層的な安保

 日本版NSC創設関連法案の委員会審議が29日から始まったばかりだが、政府与党は早くも今週中の衆院通過を見込んでいるようだ。菅義偉官房長官も安全保障環境の一層の厳しさを強調し、関連法案の早期成立を求めていた。
 国民の「知る権利」や「取材・報道の自由」の侵害が懸念される秘密保護法案、日本版NSC創設、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈見直しには、自民党内にも「周辺国から戦争の準備ばかりしているとみられる」(村上誠一郎元行革担当相)などの異論がある。周辺国が「戦争準備」と警戒する法案を強行可決してはならない。
 そもそも安倍政権の閣僚が「安全保障」を語るとき、軍事的な安保観が色濃く、違和感を覚える。
 1989年の東西冷戦終結以降、「安全保障概念の多様化」が世界的に叫ばれてきた。人間の安全を脅かす要因として、民族・宗教の対立のほか、貧困、抑圧、差別などの社会的不正義を「構造的暴力」として直視しなければならない時代だ。エネルギーや食料の安保、環境問題なども軍事偏重の安保では対処できまい。時代に適合した重層的な安保を追求すべきだ。
 中国の軍事的台頭や北朝鮮の核開発などを東アジアの不安定要因だと強調するあまり、売り言葉に買い言葉で軍拡競争をエスカレートさせては、関係各国が安全を失う「安全保障のジレンマ」に陥る。
 NSCには首相と官房長官、外相、防衛相の4者会合が新設され、機動的に審議する。トップダウンで情報を集め迅速な判断につなげるという。
 首相の考え方に異論を挟む安全保障専門家が数少ない中、第1次安倍政権で内閣官房副長官補として安全保障政策に深くかかわった柳沢協二氏は、国会の参考人質疑で「安全保障会議が形骸化していると言われるが、必ずしもそうは思わない。NSCがなかったために対応が遅れたことはなかった」と指摘した。傾聴に値する。

重なる「屋上屋」

 柳沢氏の言う安保会議とは首相など9閣僚からなる現行会議を指す。「屋上屋」を重ねるNSC創設は必然か、吟味し直すべきだ。
 安保政策は、外交的解決こそ優先し、国家間の相互信頼、戦略的互恵関係を強固にし、偶発的な衝突の芽すら摘み取る能動的な外交に磨きをかけるべきではないか。
 安倍首相の私的諮問機関である有識者懇談会はNSCの運営方針になるとされる「国家安全保障戦略」を、中国や北朝鮮への警戒感を色濃くにじませた形で概要をまとめた。「積極的平和主義」を掲げる新安保戦略によって、集団的自衛権の行使を可能ならしめる安保体制が構築されよう。日本は事実上、米国の軍事戦略に追随し、世界の紛争に介入することにならないか。新安保戦略が外交的解決の対極にあると思えてならない。
 政権与党内では、日本版NSC創設に合わせ米中央情報局(CIA)のような諜報(ちょうほう)機関が必要との見方がある。米国の情報機関、国家安全保障局(NSA)がドイツのメルケル首相ら外国首脳約35人に盗聴を仕掛けていたことが最近判明し、世界に衝撃が走った。設置されれば「日本版CIA」も、同じことをするのか。国民不在のまま物事が進み過ぎていないか。
 政府与党は、この国の民主主義と憲法を死滅させかねい危険な法案の成立を思いとどまるべきだ。