山本議員手紙 議席返上の必要はない


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 秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した山本太郎参院議員の行動が波紋を呼んでいる。軽率な行動は批判を免れないにせよ、「不敬罪もの」といった猛烈な非難ぶりには違和感を禁じ得ない。

 明治憲法下に逆戻りしたかのような時代の空気に不安を覚える。67万人から負託を受けた国会議員が職を辞するほどの問題なのか。辞職要求は均衡を失している。議席返上の必要はない。皇室と政治との距離について、冷静に議論すべきだ。
 山本氏は「原発事故による子どもの健康被害や事故収束作業に当たる作業員の健康状態を知ってほしかった」と説明し、政治利用との意図は否定した。
 だが、原発事故という政治的テーマについて天皇に何らかの観念を持ってもらおうとするのは、政治利用になりかねない危うさをはらむ。近世の「直訴」のようで、国民主権を定める憲法とも相反する。やはり軽率な行為であろう。
 とはいえ、閣僚や与党から議員辞職の大合唱が起こることには強い違和感を覚える。
 安倍政権は4月の「主権回復の日」式典に天皇・皇后両陛下を出席させた。「天皇陛下万歳」の掛け声とともに安倍晋三首相は壇上で万歳をした。沖縄からの強い反発が起きた式典の強行はまさに政治的行為であり、天皇出席を求めたのは政治利用ではないのか。
 9月の国際オリンピック委員会総会への高円宮妃久子さまの出席は、下村博文文科相が宮内庁に強く働き掛けた。政治利用だとの批判が起きたが、その下村氏が山本氏に辞職を求めるのは皮肉だ。
 政権の行為は不問に付す一方で、山本氏をことさらにあげつらうのは公平ではない。市民派として登場し、反原発を掲げて当選した山本氏は政権には目障りなはずだ。そんな議員の職を、天皇の威光を借りて奪おうとすることこそ、逆に天皇の政治利用ではないか。
 そもそも山本氏の行為は、不適切ではあるが、法規に抵触するわけではない。その行為一つで有権者の負託を即、無効とするのは、「不敬罪」を設けた明治時代と同じ発想ではないか。その発想自体が危険である。
 脱原発の世論を一顧だにしない政府の姿勢への絶望が、山本氏にそんな行動を取らせたのだとしたら、理解できなくもない。その閉塞(へいそく)感を打破する回路をどう構築するかも、政治の課題であろう。