海兵隊引き留め 歴史的過ち繰り返すな


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 沖縄の施政権が返還された1972年、在沖米軍基地の過重負担を大幅に軽減する千載一遇の好機が到来したが、日本政府がつぶしていた事実が明らかになった。

 米国防総省は、財政難やアジアの緊張緩和を背景に、在沖海兵隊を撤収し、本国への統合を模索したが、日本政府が引き留めていた。
 米国の同盟国であるオーストラリアの外交文書から分かった。
 一方、米国務省は、市街地で騒音被害を振りまく海兵隊の普天間飛行場をめぐり、「明らかに政治的負債だ」と断定していた。この認識は、海兵隊撤退論に影響を与えたであろう。
 国防総省の海兵隊撤退案は、72年10月、駐米豪大使館が本国に宛てた公電に記されている。その後、米政府は在沖基地維持に傾く。沖縄の米軍基地の整理縮小、兵員削減に日本政府が立ちはだかる構図は、当時も今も変わらない。
 超大国の覇権主義の失敗は明らかだった。ベトナム戦争に膨大な戦費を投じた米国は財政危機に直面し、72年当時、在沖海兵隊の本国撤収の検討を余儀なくされる。
 米国防総省の担当者は、沖縄の2海兵旅団を含め、太平洋の全海兵隊をカリフォルニア州サンディエゴに統合する構想を立案し、「相当安く、有効だ」として効率化を最優先する見解を示していた。
 戦争継続中であっても、財政危機の打開策として軍事予算削減に大なたを振るうことが避けられなかったわけだ。日本政府が同意すれば、沖縄の全海兵隊基地が返還されていた可能性が高い。
 ところが、翌73年7月、日米安全保障条約運用会議で、防衛庁が在沖海兵隊の維持を主張し、米本国への撤退は不発に終わった。
 それどころか、78年に始まった在日米軍駐留経費の肩代わり、いわゆる「思いやり予算」が年々膨らみ、世界で屈指の駐留環境を米軍にもたらしてしまった。
 米政府は72年当時と同様に、軍事予算を含む歳出強制削減を強いられている。米有力議員から「歴史の遺物」とも酷評された海兵隊は大幅削減を迫られているが、既得権と化した思いやり予算の維持拡大を日本側に求めながら、生き残りに必死だ。
 沖縄の抜本的な負担軽減に結び付く米軍の戦略配置を、金の力と沖縄への基地押し付けでゆがめる。歴史的な過ちを繰り返してはならない。普天間飛行場の名護市辺野古移設は論外である。