マンデラ氏死去 人類融和の志を受け継ごう


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 南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃のために闘い、同国初の黒人大統領を務めたネルソン・マンデラ氏が死去した。95歳の生涯を黒人差別の撤廃と国民融和にささげ、民主国家建設に尽力した功績は計り知れない。

 その歩みはまた、国際社会に平和のメッセージを発し続け、人類融和に向けて希望の光をともした。ノーベル平和賞を受賞し、世界中から人種を超えて敬愛された希有(けう)な指導者の死を悼み、冥福を祈りたい。
 アパルトヘイト政策は1948年に政権を掌握した国民党が制度化を進めたが、そのおぞましさは指摘するまでもないだろう。
 人種別に居住地を定める集団地域法、出生時の人種別登録を義務付けた人種登録法、異人種間の結婚を禁じる雑婚禁止法などを柱としていた。その体制下では、治安警察による黒人への暴行や逮捕状なしでの拘束、拷問は日常茶飯事だったとされる。
 1962年に逮捕されたマンデラ氏は27年半もの刑務所暮らしを強いられた。弾圧のひどさの程は、想像するに余りある。長年にわたり照り返しの強い採石場での作業や、湿度の高い部屋での生活を余儀なくされた。肺の感染症は死の前までマンデラ氏の体を長年むしばんだ。
 先の見えない獄中生活にあってもマンデラ氏は人間としての尊厳を見失わず、反アパルトヘイト闘争の精神的支柱であり続けた。不屈の闘志は、自由と平等、人権と民主主義を強く希求する精神に培われたのだろう。
 90年に釈放後も白人への報復を戒め一貫して人種融和を訴えた。90年代前半の南アは、人種対立が激化し内戦寸前だっただけに、マンデラ氏の存在なくして人種間の和解も、94年に黒人が初めて参加した全人種選挙もなかっただろう。
 94年から99年まで大統領を務めたマンデラ氏は、多人種共存の「レインボー・ネーション(虹の国)」を目指した。一方で、人種間の貧富の格差や世界最悪レベルの劣悪な治安など、南アが抱える課題は今なお深刻だ。
 もとよりアフリカに限らず、国際社会は人種差別や宗教対立、地域紛争、貧困問題などの重い課題に直面している。
 マンデラ氏の理想を突き詰めれば、人類融和と世界平和に行き着く。国際社会はその志をしっかりと受け継ぐ必要がある。