奄美復帰60年 歴史に学び未来へ連帯を


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 先の大戦後、沖縄同様に米軍占領下に置かれた奄美群島は25日、1953年に日本復帰を果たしてから60年の節目を迎えた。

 住民の99%の署名や断食など、群島ぐるみの激しい復帰運動を経て成し遂げた記念日だ。歴史の記憶、記録を後世に伝えよう、伝えなければならないという人々の思いがひしひしと伝わってくる。
 奄美や沖縄を切り離したサンフランシスコ講和条約発効の日を、奄美は「痛恨の日」、沖縄は「屈辱の日」と刻み「祖国復帰」への道を歩んだ。
 奄美は講和条約発効の1年半後に復帰を実現したが、それに伴い沖縄在住の奄美出身者は「非琉球人」として外国人登録を義務づけられた。公職を追放され、参政権や財産取得権を奪われるなどの苦難にさらされた。このような戦後史の側面も忘れてはなるまい。
 復帰後、奄美では沖縄同様に国主導による振興開発が図られてきたが、大島紬(つむぎ)の生産額はピーク時1980年の287億円から、2012年は5億4千万円に落ち込んだ。人口は復帰前の約22万人から現在は11万人余に減った。
 住民や群島外の関係者らの危機感は強い。復帰60年も祝賀ムード一辺倒で迎えたわけではないだろう。復帰運動で見せた同胞の情熱や連帯感をあらためて確認し、奄美の未来を創り出す契機にしたいという思いが表れている。
 奄美・琉球の世界自然遺産登録に向けた取り組みなども、こうした動きの一つだ。国の特別天然記念物アマミノクロウサギなどの固有種、それを育む豊かな自然環境をしっかりと保全し、地域振興にどう生かすかが課題だろう。
 奄美群島12市町村の広域事務組合は今年、農業や観光、情報などを基軸に産業振興、雇用創出を図る成長戦略ビジョンを策定した。島嶼(とうしょ)地域の振興をどう図るか。共通する課題を抱える沖縄との連携ももっとできるのではないか。
 奄美と沖縄の復帰の年に生まれた「復帰っ子」の座談会も開催されるなど草の根の新たな動きも出てきた。経済や文化など、幅広い分野で相互交流を深めていくべきだ。
 歴史的にも文化的にも、沖縄とは関係の深い奄美だが、一方で日本本土や沖縄をも相対化する視点を持てるのも強みと魅力だろう。 二つの復帰運動の成果と教訓を継承し、お互いの島々の自立と連帯で琉球弧を活性化させたい。