年末回顧 県民は屈服しない 尊厳と覚悟問われた一年


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 2013年が暮れようとしている。今年一年の沖縄を漢字一文字で表すなら「屈」ではないか。

 最たるものが仲井真弘多知事の「屈服」だ。選挙公約に反し、米軍普天間飛行場の辺野古移設に向けた政府の公有水面埋め立て申請を承認する歴史的背信を働いた。
 自民党県連、所属国会議員も普天間県外移設の公約を撤回し政府に「屈従」した。石破茂自民党幹事長と共に会見に臨み、ひれ伏すかのような国会議員らの姿、安倍晋三首相との会談で見せ掛けの基地負担軽減策を示され「いい正月になる」と笑う知事の姿は、県民に新たな「屈辱」を印象付けた。

「オール沖縄」の建白書

 1月には県議会議長や県内全41市町村の首長、議長ら県民代表が上京し、米海兵隊垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの撤去と普天間飛行場の県内移設断念を求める「建白書」を安倍首相に提出した。「オール沖縄」を象徴する取り組みとなったが、県民の思いを踏みにじるかのように、政府は8月にオスプレイ追加配備を強行した。
 同じ8月には嘉手納基地所属のHH60救難ヘリが宜野座村のキャンプ・ハンセン内に墜落。基地返還跡地の沖縄市のサッカー場工事現場で発見されたドラム缶から環境基準を超えるダイオキシン類が検出されるなど、基地絡みの問題が今年も相次いだ。
 沖縄は日本なのか、沖縄県民は日本国民ではないのか。そんな思いを深くした年でもあった。
 沖縄や奄美を日本から切り離して米軍統治下に置いたサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)した4月28日の「屈辱の日」に、政府は「主権回復」を祝う式典を開催。県民の反発が広がり、抗議の県民大会に発展した。
 こうした中で、5月には琉球民族独立総合研究学会が発足。9月にはしまくとぅば県民大会も開催され、基地問題で揺れる中で沖縄のアイデンティティーを問い直し、自己決定権を確立しようという動きが広がったのも特筆される。
 思えば、東京行動にも主権回復式典反対県民大会にも、しまくとぅば県民大会にも、仲井真知事の姿はなかった。肝心な時に県民の先頭に立てない、立たない知事の姿勢には民意から乖離(かいり)した「背信」の危うさが常に漂っていたが、その「偏屈」さは年の暮れに最悪の形で表れた。
 沖縄の指導者、政治家はどうあるべきか。そのことが鋭く問われた一年だったとも言えよう。

「長寿沖縄」の危機

 尖閣諸島周辺海域における日本と台湾の漁業権をめぐる取り決め(協定)が4月に締結されたが、衝突事故が起きるなど混乱が続く。中学公民教科書採択をめぐる「八重山教科書問題」も混迷を深め、解決は来年に持ち越された。
 性暴力被害者を救済する受け皿整備が急速に進んだのは大きな成果だ。勇気ある訴えが支援の輪を広げ、公費・24時間運営の画期的な「ワンストップ支援センター」設立にめどが立った。心に傷を負った人を支援する仕組みづくりを通して、性暴力を許さない社会を共に築いていきたい。
 「長寿沖縄」がまたしても揺らぐ調査結果も出た。厚生労働省が発表した2010年都道府県別平均寿命で、沖縄の女性が前回(05年)の1位から3位に後退し、調査開始以来初めて首位から転落。男性は30位で、前回の25位からさらに順位を下げた。沖縄の貧困率は、全国平均の倍の29%との調査結果も衝撃を与えた。社会的弱者支援の重要性が増している。
 「鬱(うっ)屈」感を吹き飛ばす明るい話題もあった。男子ゴルフの宮里優作選手がプロ転向11年目でツアー初勝利を飾るなど、ゴルフの県勢は今年も元気だった。高校野球では沖縄尚学が明治神宮大会を制覇する偉業を成し遂げた。
 沖縄の尊厳と覚悟が問われた一年だった。「屈辱」は味わったが、この経験を生かし、沖縄の民意はより「屈強」になるだろう。「不屈」を誓い、新年を迎えよう。