自己決定権 民意の力で尊厳回復を 国連で不当性訴えよう


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 ウチナーンチュの多くがわだかまりを抱えたままの年明けであったろう。仲井真弘多知事のあの詭弁(きべん)だらけの会見から5日足らずで新年を迎えざるを得なかった。

 琉球・沖縄史を通じ、沖縄に犠牲を強要する側におもねり、喜々として沖縄を差し出すかのような人物が、沖縄を代表する立場だったことは一度もない。だから、あの知事の姿は信じがたかった。
 だが沖縄は過去17年も埋め立てを許していない。そもそも沖縄の戦後史ほど、意思的に民主主義を獲得し、自力で尊厳を回復してきた歴史は、世界的に見てもそうない。沖縄の民意の力を信じよう。

無力感は思うつぼ
 確かに、「有史以来の予算」と手放しで政府を持ち上げる知事のあの姿は直視しがたいものだった。首相官邸のホームページは沖縄を「乞食(こじき)」「ゆすりたかり」呼ばわりする書き込みにあふれた。
 沖縄への国民的同情という政治的資源は知事自身の手で失われた。県民の尊厳を傷つけた責任も重い。もっと罪深いのは県民を分断し、無力感に陥らせたことだ。
 歴史的に見ると沖縄は始終このような分断工作にさらされてきた。米軍統治下では米国によって、復帰後は日本政府によって。もっと言えば薩摩(さつま)侵攻以来でもある。世界史的に見れば植民地は常にそうだ。宗主国にとっては被植民者が仲間割れしていれば抵抗力が弱まるから好都合である。沖縄は定石通りの展開だったのだ。
 しかし戦後の沖縄はそれを見事にはね返してきた。島ぐるみ闘争、主席公選、そして復帰。民主主義を獲得し、それを駆使して権利と尊厳を勝ち取ってきたのだ。
 中でも特筆すべきは立法院1962年2・1決議だ。1960年国連総会の「植民地主義無条件終止宣言」を引用し、国連加盟国に沖縄の不当な状況へ注意を喚起する内容だった。国連の宣言や国際法を調べ、決議を練り上げる。そんな能力が当時、日本のどこの議会にあっただろう。
 今、県内には怒りと諦めが交錯している。だがこの無力感こそ、沖縄に犠牲を強いたい日米両政府の思うつぼである。国際社会の関心を招いて打開を図る。先人のそうした先見性と自主性に学びたい。
 今こそ国際社会に訴えるときだ。われわれだけでなく次世代の、子や孫の命と尊厳がかかっているからだ。日米両政府が沖縄に差別と犠牲を強いる姿勢を変えようとしないから、政府任せで打開はあり得ない。解決策は沖縄の自己決定権回復しかない。

普遍的価値

 犠牲の強要をはね返す論理なら、国際法に根拠は数多くある。
 ハーグ陸戦条約(戦時国際法)46条は私有財産の没収禁止をうたう。略奪は厳禁だ。沖縄戦から68年、新基地を造れば1世紀を優に超える。これほど長期の占領は没収に等しい。圧倒的民意を踏みにじる基地新設も略奪に近い。
 1966年の国際人権規約第1条には「すべての人民は自決の権利を有する」とある。79年には日本も批准した。そうであれば、沖縄にとって死活的に重要なことは沖縄の民意に従うのが理にかなう。沖縄の土地と空と海は沖縄自らが自由に使えるべきだ。
 沖縄は、自由と民主主義が普遍的価値であるとの価値観に立っていると言い換えてもいい。米国はこの価値観を共有していないのか。日本政府はどうか。沖縄の代表が国連へ行き、これらを訴えるのは効果的なはずだ。
 今年9月、スコットランドは英国からの独立の是非を問う住民投票を行う。スペインのカタルーニャでも投票の動きがある。グアムも米国との自由連合盟約か州昇格か独立かの選択を模索する。
 沖縄でも自治州や道州制などの構想が復帰後連綿として続いてきた。独立研究学会も発足した。いずれにせよ、自己決定権を拡大しない限り、幸福追求はなしえない。差別的処遇を撤回させ、自らの尊厳を取り戻そう。

→動画 仲井真知事 辺野古埋め立て承認記者会見