ウクライナ情勢 国民融和の政権樹立急げ


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 美しい首都・キエフを舞台に、治安部隊と反政権デモ隊との衝突で80人以上の死者を出した末、ウクライナのヤヌコビッチ政権が崩壊した。

 欧州統合を志向する野党勢力による政権打倒である。大統領やその周辺の腐敗も際立ち、国民の間で経済不振への不満が募っていた。
 大統領権限を暫定的に担うトゥルチノフ議会議長は、暴力の連鎖を断ち、流血の事態の全面回避を最優先に対処してもらいたい。
 その上で、国内の幅広い勢力が参加した挙国一致の政権を樹立し、国民融和を目指すべきだ。
 ウクライナは親欧州の西部住民と、親ロシアの東部、南部住民がいがみ合ってきた。国際社会は、こうした国情に注意深く寄り添い、人命が奪われる対立が再燃しないよう、力を尽くしてほしい。
 旧ユーゴスラビアのような民族対立が引き金になった国家の分断が、欧州全体の脅威となるような事態は避けねばならない。
 政権崩壊のきっかけは、昨年11月、ヤヌコビッチ大統領が、欧州連合(EU)との関係強化を図る協定の調印を直前で取りやめたことにある。
 莫大(ばくだい)な対外債務を抱えてひっ迫する財政事情と経済危機を背景に、ヤヌコビッチ大統領はロシアに急接近した。その見返りとして総額150億ドル(約1兆5300億円)の財政支援と、天然ガス売却価格の大幅引き下げの約束を取り付けた。財政支援は一部が履行され、ロシアが影響力を強めていた。
 ウクライナは20世紀に起きた第1次、第2次の世界大戦の際、独立志向の西部の民族主義勢力と、東部の親ロシア勢力が武装闘争を繰り広げ、多くの犠牲者を出した。
 歴史の教訓を無視する形で、ヤヌコビッチ氏が親ロシアにかじを切ったことで、西部を基盤とする野党勢力が強く反発し、反政権デモが大きな広がりを見せた。
 これに対し、政権側は権力基盤を守ろうと武力弾圧の愚に走った。野党勢力の中にも武装した過激な右派勢力が台頭し、政権崩壊後も懸念材料となっている。自制を求めたい。
 ロシアのプーチン政権とEU各国は、政権と野党3党による危機解決に向けた合意文書締結をリードした。これを先例に、自らの国益を優先した影響力拡大合戦をやめ、混乱の早期収拾と国の安定に向けた側面支援に徹するべきだ。