大震災3年 「減災」の国づくりを 東北の今と未来支えたい


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 日本人としての信義が問われている-。「福島の復興なくして日本の未来はない」との政治家の度重なる言説と遅れる復興。このギャップを、福島県の地元紙の記者が「震災3年に思う」との評論で鋭く突いた(9日付本紙3面)。

 東日本大震災の発生から3年の節目を迎えた。今なお約26万7千人が仮設住宅などで避難生活を送り、沿岸部では行方不明者の捜索が続く。この国は震災直後と同様、被災地に思いを致し、教訓を分かち合っているだろうか。
 国民を挙げた東北への持続的支援をいま一度確認したい。

震災関連死

 人間は忘れやすい生き物だ。しかし、東日本大震災は現在進行形であり、気持ち次第で幾らでも教訓を導き出すことができる。
 東海沖から九州沖の太平洋海底に延びる溝状の地形(トラフ)を震源としてマグニチュード(M)9級の南海トラフ巨大地震が発生した場合、政府は最悪で死者が32万人に達すると想定している。
 大震災は対岸の火事ではない。私たちには東北の過酷な経験や未来の震災への備えを、子や孫の代にしっかり引き継ぐ責任がある。
 警察庁によると、10日現在、震災の死者は1万5884人、行方不明者は2633人。避難生活を苦にした自殺などの「震災関連死」は、昨年9月末の2916人から増え続けている。
 震災関連死に歯止めをかけねばならない。肉親を震災で失い、自らも苦しみもがいた末に生を奪われる。この国はこんな理不尽なことがまかり通るほどセーフティーネットが機能せず、地域の絆、支え合いの心が傷んでしまったのか。決してそうではないと信じたい。
 阪神淡路大震災の際も、復興住宅などで地域とのつながりが希薄な被災者の「孤独死」が社会問題化した。この教訓を生かすべきだ。
 被災地や全国の避難先でさまざまな被災者支援が展開されているが、今後は生活支援はもとより、震災関連死を防ぐ「見守り活動」などの取り組みをプライバシーに十分配慮しながら強化すべきではないか。行政や自治会組織、ボランティア、NPOなど関係団体はより連携を密にしてほしい。
 岩手、宮城、福島の3県では人口流出が深刻で、震災直後の11年3月末と比べ約10万4千人減った。また、災害公営住宅を約2万9千戸建設予定だが、1月末現在で完成したのは計画の約3%だ。遅れは、用地買収の難航が主因だ。高台移転の造成の遅れで自力で新天地を探す人が現れ、小さな自治体で空洞化が深刻になりつつある。

災間を生きる

 人口流出は危険な兆候だ。苦楽を共にする地域の絆なくして、安心・安全な暮らしはおぼつかない。震災後の現実に即した新しいコミュニティーづくりが焦眉の急だ。
 被災地各地を聞き取り調査してきた福島県立博物館長の赤坂憲雄氏は、東日本大震災と将来起こり得る大震災との間の「災間を生きる思想」の大切さを提起する。
 確実に進む超高齢化社会を見据え、赤坂氏は「高齢者が自分よりも高齢の方たちを避難させるにしても、もう限界。だとしたら弱き人たちこそもっと安全な場所に、といった発想の転換をしなくてはいけないのではないか。コンクリートで固めたとしても、人を守ることはできない」と指摘。これは高齢者などをあらかじめ避難の必要がない安全な場所に住まわせる「減災」の発想といえよう。
 確かに、わたしたちは大震災で自然の猛威にあらがうよりも、避難路、避難場所を見つけ行動することの大切さを悟ったはずだ。長大堤防などで津波被害を封じ込めるハード偏重の防災対策から、被害を最小化する減災への転換をあらためて確認したい。
 安倍晋三首相も「ハード面だけではなく、心の復興に力を入れる」との考えを示している。ぜひ政治生命を賭ける覚悟で、被災地や被災者のニーズに合った支援策を強力に推し進めてほしい。