社会保障見直し 骨太な将来像の提示を


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 4月から消費税5%が8%へ上がり、国民に新たな負担や給付減額を求める社会保障制度の見直しも相次ぐ。強い違和感を覚える。

 民主党政権時代に民主、自民、公明3党は、社会保障の充実のために税との一体改革に合意したはずだ。なのに政府から今聞こえるのは、国民への負担要求ばかりだ。
 例えば1割だった70~74歳の医療費窓口負担は段階的に特例を廃止し、4月2日以降に70歳になる人から2割負担となる。
 年金給付は0・7%減額。これも本来より高水準の特例の解消が目的で、国民年金満額月6万4875円の受給者は、4月分から475円減り6万4400円になる。
 このほか、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度の保険料の平均額値上げ、診療報酬改定に伴う病院や診療所に支払う初診料(120円増)も値上げされる。
 改革の大義名分について、国はしばしば現役世代の負担緩和で高齢者との世代間公平を図ると説明する。しかし実際は、若年世代の不公平感をあおりつつ、明らかに全ての世代に負担を強いている。
 その証拠に自営業者や非正規労働者らが加入する国民年金の保険料は月210円増の1万5250円となる。ひとり親家庭が受け取る「児童扶養手当」などの福祉関連手当も0・3%減となる。これらの国民へのしわ寄せは、個別にみると月額数十円から数百円と少額だが、これが積もれば大金だ。
 4月以降、消費増税やこれと連動した物価高も庶民に重くのしかかる。新年度からの民間企業の賃上げがもし頭打ちとなった場合、家計への打撃は計り知れない。その先には社会保障の破綻、貧困・格差の拡大が待っているのではないか。そんな懸念を禁じ得ない。
 国には、国民に「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)を保障する責任がある。国は、少子高齢化が加速する新時代の社会保障の在り方について国民に複数の将来像を示すべきではないか。
 例えば、社会保障の給付削減を続け、自己責任による生活防衛を促す「小さな政府」路線を歩むのか。あるいは大学生までの教育費や医療費の無料化など高負担・高福祉の北欧型福祉国家を目指すのか。
 庶民から広く薄く税金や保険料を徴収する弥縫(びほう)策を繰り返すだけでは、国民は疲弊する。改革への政府や各政党の本気度が問われる。