辺野古アセス判決 理不尽正す矜持ないのか


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 司法の存在意義と役割を自ら放棄するかのような不当な判決だ。

 米軍普天間飛行場代替施設建設に伴う環境影響評価(アセスメント)手続きに不備があるとして、周辺住民らがアセスのやり直しなどを求めた訴訟で、福岡高裁那覇支部は住民側の控訴を棄却した。
 環境アセス手続きに対する住民の意見陳述権の有無が主な争点だが、判決は環境影響評価法において「住民の意見陳述権は認められない」と一審判決を支持。住民側が主張するアセス手続きの違法性の判断は示さずに、再度門前払いにした。
 国はアセスの第1段階の方法書で米軍機が集落上空を飛行するなどの重大情報を記さず、住民が意見する機会がない評価書段階になって垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備情報を盛り込んだ。手続きのずさんさは明らかだ。
 しかし判決は一審同様に、アセスでの住民意見について「事業者は意見に『配慮』すれば足りる」とし、住民意見よりも事業主の国に配慮する姿勢をにじませた。 
 日常の生活環境が脅かされる恐れがありながら、住民の意見は「配慮」するだけで十分だとなれば、環境アセスは事業者のアリバイを補完するだけの手段で、もはや虚構と言わざるを得ない。
 現行法の限界もさることながら、より問題なのは住民の声に耳を閉ざす司法の姿勢だ。新石垣空港建設をめぐる環境アセスの瑕疵(かし)をめぐる訴訟では、那覇地裁がアセス手続き前の大規模調査が「(環境アセス)法の趣旨を没却しかねない」として、訴え自体は却下したものの、アセスのやり方に異議を唱えた事例もある。
 今回の高裁判決は、社会の不正義や理不尽を正そうという矜持(きょうじ)のかけらも感じさせない。こうした司法の姿勢が続けば、国の事業や政策で生活環境が脅かされる住民は永久に救済されなくなる。
 辺野古移設をめぐっては、仲井真弘多知事の埋め立て承認の取り消しを求める提訴もある。県側は住民側に訴える権利(原告適格)はないとして却下するよう求めているが、裁判所は門前払いにせず、社会正義に照らした判断をすべきだ。
 米軍基地が集中する沖縄では憲法や国内法より日米地位協定や日米安保条約が優先され、住民の生活環境や人権が損なわれている。だからこそなおさら、それらを守る砦(とりで)としての司法の役割は重い。