天安門事件25年 民主化へかじを切るとき


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 中国人民解放軍が学生を中心とした一般市民に銃を向けて武力弾圧した天安門事件が発生してから、きょうで25年を迎えた。中国は現在、世界第2の経済大国だ。この間、経済的な成長を成し遂げたが、一方で政治の民主化は足踏み状態だと言わざるを得ない。むしろ逆に習近平国家主席は政治的な締め付けを強めている。

 2013年の国内総生産(GDP)は56兆8845億元(約950兆円)と1989年の33倍以上に達した。確かに国民生活は豊かになった。しかし貧富の差は広がり、汚職が横行するなど政治腐敗もまん延した。大気汚染など環境破壊も深刻だ。土地収用や化学工場、ごみ処理場の建設などに反対するデモが各地で起きている。
 今や中国は経済的にも政治的にも国際的に発言力の高い超大国だ。経済の自由化に伴い、中国国民の権利意識は強まり、価値観も多様化している。こうした国民のさまざまな要求を政治に反映し、社会的な安定を維持するのは大国の責務だ。それには民主化を進めることは不可欠なはずだ。
 しかし中国の姿勢は民主化に背を向けているとしか思えない。中国指導部は事件について、学生や市民の「反革命暴乱」との歴史的評価を変えていない。国外からの人権批判については「和平演変」(中国社会主義体制の平和的転覆)を狙った陰謀と決めつけ、かたくなに民主化を拒否している。
 中国当局は最近、天安門事件をめぐる報道をしないよう、海外メディアに対して圧力をかけている。公安当局が記者を呼び出して事件を取材しないよう警告し、従わない場合は「深刻な結果を招く」と伝えている。
 また事件で学生に理解を示し失脚した故趙紫陽元中国共産党総書記の元秘書、鮑●氏が公安当局に連行されたようだ。海外メディアとの接触を避ける措置とみられる。ノーベル平和賞受賞者で中国の民主活動家の劉暁波氏は現在も服役したままだ。報道、表現の自由が保障されない国は民主国家とはいえない。
 軍事強化による対外拡張主義も見過ごせない。力で訴える姿勢ではなく、対話による国際強調に転換すべきだ。それが東アジア地域の平和と安定に貢献する道だ。中国は事件を封印するのではなく、国民の声に耳を傾け、民主化へかじを切るときだ。

※注:●は丹へんに彡