自衛権閣議決定案 国民を脅かすのは誰か


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 甚だしい偽装と牽強(けんきょう)付会の連続だ。このような転倒した理屈が通るのなら、日本が法治国家であるか否かが疑われる。

 政府は解釈改憲に向けた閣議決定の文案を提示した。自国でなく、他国に対する武力攻撃にも一定の条件で自衛権行使を認めるとし、「国際法上、集団的自衛権に当たる」と明記した。
 要は外国に出掛けていって戦争をするというのだ。憲法は「国の交戦権は認めない」と明記する。その交戦権を認めるのだから憲法の破棄に等しい。一内閣の解釈で憲法を破棄するような閣議決定など断じて容認できない。改憲したいなら政府は堂々と国民に是非を問うべきだ。
 一定の条件とは、高村正彦自民党副総裁が示した新3要件だ。「国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある場合」、集団的自衛権行使を認めるという。
 基になったのは1972年の政府見解だ。「幸福の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態」に自衛の措置が許されるとある。
 そこから文章の一部を引用したから、今回の案も従来の政府見解と整合性があるかのように装うが、偽装も甚だしい。この政府見解の結論は「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」だ。同じ政府見解からなぜ正反対の結論を導けるのか。恐るべき没論理である。
 これまで政府は砂川事件最高裁判決が集団的自衛権行使を容認していると強弁してきたが、こじつけだと批判された。旗色が悪くなったので、急に72年の政府見解を持ち出してきたとしか思えない。
 この政府見解も、個人で言えば正当防衛に当たる個別的自衛権行使を正当化したものだ。だから正当防衛のときに使う「急迫、不正」の表現があった。今回の高村案が「急迫、不正」を省いたのは、外国での武力行使に正当防衛を当てはめるのは無理があるからだろう。まさに政府見解のつまみ食いだ。ご都合主義もここに極まれりである。
 今回、自衛権行使に地理的制限は設けない。「地球の裏側」でも戦争するというわけだ。石油の輸入が難しい場合も「国民の生命、幸福追求の権利が根底から覆される」事態に含むという。経済的理由でも外国と戦争することになる。これで「限定容認」とは、偽装そのものだ。むしろ政府こそ「国民の生命を根底から」脅かしている。