取り調べ可視化 全事件、全過程で導入を


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 最高検が取り調べの録音・録画(可視化)の対象を拡大すると発表した。だが全面可視化には程遠い。可視化するか否か、検察の裁量に委ねる仕組みは残っている。

 自白強要による冤罪(えんざい)を防ぐには、やはり例外なき全面可視化を法制化すべきだ。
 検察は2006年から取り調べ可視化を進めてきた。裁判員裁判の対象となる事件に始まり、特捜部独自事件、精神・知的障がい者が容疑者である事件へと広げてきた。10月からはその限定を外し、逮捕・起訴される事件全般を対象とする。中でも贈収賄など物証が乏しい自白事件や、供述が変遷したり否認したりした件で試行的に可視化する。
 だが「供述が得られなくなる恐れ」があれば録音・録画は行わないという。これでは透明性が確保されたとは到底言えない。
 一方、評価できる点もある。容疑者だけでなく被害者や参考人の聴取も可視化する点だ。
 特捜部は自分たちが描いた筋書きで事件を「つくる」と批判されてきた。参考人に対し別事件での立件をほのめかし、検察に都合の良い内容の供述を迫る。そうして外堀を埋めてから標的を呼び出し、無理矢理に立件する。そんな捜査は、可視化すればできなくなる。
 今回は検察による自己改革だが、法制審議会が警察も含めた可視化の法制化を議論し、現在、大詰めを迎えている。何のための改革か、原点に立ち戻って考えたい。
 先日再審開始が決まった袴田事件では、逮捕当時、連日、しかも長時間、拷問に等しい過酷な取り調べで無実の容疑者が自供に追い込まれたことが分かっている。
 供述した場面だけを録画したのでは、捜査当局が都合の良い場面を「つまみ食い」したという疑念が残る。これでは、供述の任意性・信用性を担保するという可視化本来の目的も達成できまい。
 逮捕・起訴事案に限らず、全ての事件を対象にすべきだ。警察も、容疑者だけでなく参考人や被害者の聴取に導入してほしい。可視化に例外を設け、恣意(しい)的運用の余地を残してはならない。警察も含めた全事件・全過程の可視化は不可欠だ。
 可視化には法廷での「言った言わない」の無用な水掛け論を避ける効果もある。捜査当局には、怒鳴って机をたたくのではなく、嘘を見抜いて供述を引き出す、そんな能力を磨いてもらいたい。