解釈改憲自公合意 姑息な「コネ入学」に等しい


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 自民、公明両党は集団的自衛権行使を可能とする解釈改憲の閣議決定案に大筋で合意した。いくら詭弁を弄(ろう)そうとも、ことの本質は日本の自衛隊が外国で戦争をするか否かだ。外国での戦争に国民的合意はない。自公合意は不当だ。

 解釈で憲法の根本を左右するのは立憲主義の否定に等しい。合否を恣意(しい)で決める「コネ入学」のようなものだ。与党は姑息(こそく)なことをせず、外国で戦争すべきか否か、憲法改正の是非を堂々と国民に問うべきだ。解散総選挙、あるいは憲法改正の国民投票を提起すべきだ。
 自公が合意した閣議決定案は「自衛権発動の3要件」に代わり、「自衛の措置としての武力行使の3要件」との名称にし、海外での軍事行動に道を開いた。
 さらに、武力行使について「国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合もある」と記した。集団的自衛権を明示したばかりでなく、「場合も」と書くことで、集団安全保障への参加の余地も残した。
 集団安全保障とは、湾岸戦争のように多国籍軍で軍事行動をすることだ。参加すると、当然、自衛隊員から戦死者が出ることが想定される。相手の国の兵士・国民を自衛隊が殺害することもあり得るし、恨みを買うことにもなる。それがなぜ国民の安全を高めることになるのか、理解できない。
 自公両党の協議は「集団安全保障」との文言を明記するか否かが焦点であるかのようだった。明記しないことで、あたかも自公両党の意見を足して2で割ったように見せてはいるが、偽装に等しい。問われるべきは日本が外国で軍事力を使うか否かであり、その意味では「ゼロか百か」しかあり得ない。自公の答えは「百」である。
 憲法9条は「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」と定め、「国の交戦権は認めない」とうたう。解釈改憲は外国での戦争を可能にするのだから、放棄したはずの「武力行使」であり、認めないはずの「交戦権」である。これでは憲法9条は完全に空洞化する。これを認めれば、9条は何のための条項か、置く意義が何も残らなくなってしまう。
 憲法の完全な空洞化を、一内閣の政治的思惑で実行することは許されない。外国での戦争を容認して公明党は「平和の党」と言えるのか。原点に戻り、従来の主張との整合性を見詰め直してほしい。