原発事故起訴相当 おざなりの捜査許されない


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 東京電力福島第1原発事故ではいまだ約12万6千人が避難を強いられ、原発事故関連死も後を絶たない。明らかに人災と言えるのに、誰も未曾有(みぞう)の大事故の責任を問われないのはおかしい。

 東京第5検察審査会が東電の勝俣恒久元会長ら3人について「起訴相当」と議決したのは、そんな市民感覚を反映したものと評価したい。
 東京地検は昨年9月、「東日本大震災による津波を具体的に予測できたとはいえない」と判断し、告発された勝俣元会長らを不起訴とした。
 しかし、東電は10メートルを超える津波の確率は1万年から10万年に1度との試算を得ていた。チェルノブイリやスリーマイルアイランドなど原発事故は被害が甚大で、影響は極めて長期に及ぶ。
 東電には安全確保に対し極めて高い注意義務があったはずだ。それにもかかわらず安全対策を講じなかったのは、犯罪的不作為だ。 自社の利益を優先し、必要な対策を取らず、周辺住民の生命を危険にさらした経営陣に刑事責任を問うのは当然ではないか。
 自然災害による異例の事故に対する刑事責任追及の要請に、検察内部には門前払いを求める声もあったという。
 国民感情に押される形で検察は捜査に着手したが、東電への家宅捜索など強制捜査まで踏み込まなかった。新たな証拠を得られる可能性もあったはずだ。
 検察は捜査の在り方を反省すべきだ。同時に検審の議決を真摯(しんし)に受け止め、徹底した捜査を求めたい。
 重大事故の刑事責任が問われた事例として、尼崎JR脱線事故や兵庫県明石市の歩道橋事故がある。いずれも不起訴の判断を検審が2度にわたり否定し、強制起訴となった。
 実際の裁判ではいずれも裁判所が過失を否定し、無罪や免訴となった。専門家は、企業活動などによって引き起こされた事故では個人の責任を問うのが難しいケースも多いと指摘する。
 欧米には安全体制が構築できていないなど組織に欠陥があった場合、企業に罪を問える制度を整えた国もあるという。同様な法制度を研究する必要もあろう。
 検審は市民感覚を反映するというのが制度の重要な目的だ。福島の被災者の気持ちに応えるためにも、おざなりの捜査は許されない。