<社説>終戦69年 平和憲法骨抜きを危惧する


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 終戦から69年を迎えた。「戦争の反省」から築いてきた平和の重みを国民全体でかみしめたい。

 日本はアジア・太平洋戦争で国民の尊い命を犠牲にし、アジア諸国をはじめ多くの国の人々の命を奪った。日本はその反省から戦後一貫して平和主義を貫き、平和国家としての確固たる国際的地位を確立した。
 それはとりもなおさず平和憲法によるところが大きい。ところが、この1年で憲法による自衛隊活動の歯止めを次々と骨抜きにする動きが加速している。
 70年近く続いてきた日本の平和が揺らぎ始め、日本の国のカタチが戦争のできる国へと大きく変容しようとしていることを危惧する。
 日本の戦後の原点である「戦争の反省」を安倍首相が踏まえているようには見えない。米国に追随しその機嫌を取るために、自衛隊の軍備を最大限活用することしか頭にないように思える。国民の安全はそこにはない。
 政府は昨年12月、機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法を公布し、年内に施行する。ことし4月には武器や関連技術の輸出を基本的に禁じてきた武器輸出三原則を廃止し、武器輸出ができるように防衛装備移転三原則を閣議決定した。
 7月には、日本が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権行使の容認を閣議決定した。
 安倍政権の一連の安全保障政策は戦前を想起させる。安倍首相が掲げる「積極的平和主義」は危険だ。他国を攻撃すれば反撃される。国民が戦争に巻き込まれる危険性が高まっているのである。平和と引き替えに戦争ができる国へと突き進んではならない。
 長崎の被爆者団体代表の集団的自衛権への問い掛けに、安倍首相は「見解の相違」と切り捨てた。戦争体験に基づく声に真剣に向き合うのが被爆国日本の首相の在り方である。異なる意見には耳を貸さない姿勢は許されない。
 集団的自衛権行使容認の理由として安倍首相が挙げる「安全保障環境の変化」には、軍事力ではなく外交力で臨むべきである。それこそが憲法の精神である。外交力を磨くことにこそ力を注ぐべきだ。
 憲法を順守する立場にあることを安倍首相は心に刻んでほしい。それが平和国家日本のリーダーのあるべき姿である。