<社説>加害責任への姿勢 負の歴史直視し未来開け


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 戦争体験者が減少し、戦後生まれが国民の7割余を占めるようになった。しかし、アジア諸国を侵略し、人命を奪った事実を「なかったこと」と闇に葬ることはできない。負の歴史を直視し、被害国との信頼関係を築く中で未来を切り開くことは、戦後日本に課せられた責務である。特に政治家はそのことを自覚し、行動すべきだ。

 国会議員の9割超を戦後生まれが占め、戦争体験を持つ「戦中派」はごく少数となった。国会議員の世代交代は、安全保障に関する政策論議に大きな影響を与えている。
 特定秘密保護法の可決成立や集団的自衛権の行使容認をめぐる対応を見ても、現在の国会は「積極的平和主義」を掲げる安倍政権が突き進む「戦争ができる国」づくりの翼賛組織に成り下がってしまったと言わざるを得ない。本来、安倍政権に厳しく対峙(たいじ)すべき野党も迫力を欠いていた。
 野中広務元官房長官は「戦争で取り返しがつかないことをしたという気持ちを持つ人が減った」と語り、「安倍路線」が進む背景に戦争体験の風化を指摘した。安倍晋三首相や閣僚、与野党問わず全ての国会議員は、野中氏の指摘を真摯(しんし)に受け止めるべきではないか。
 15日の全国戦没者追悼式で安倍首相は「私たちは、歴史に謙虚に向き合い、その教訓を深く胸に刻みながら、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り開いていく」と述べた。ところが昨年に続きアジア諸国への加害責任と反省に触れず、「不戦の誓い」という言葉もなかった。
 1996年の戦没者追悼式で、自民党首相として初めて「深い反省とともに哀悼の意を表したい」とアジアへの加害責任に触れた当時の橋本龍太郎首相とは大きな落差がある。歴史に向き合う姿勢が、安倍首相には決定的に欠けている。
 アジアに対する戦争中の加害行為を直視し、謝罪することは決して恥ずべき行為ではない。戦争中の過ちを率直に認める誠実さを持つ国であるということは、むしろ逆に誇るべきことである。被害国と新たな関係を築くことにもなる。
 ヴァイツゼッカー元西ドイツ大統領の「過去に目を閉ざす者は結局、現在にも盲目となる」という85年の演説を思い起こしたい。過去に目を閉ざせば、現在や未来も見通せないことを安倍首相や国会議員は肝に銘じるべきだ。