<社説>道徳の教科化 価値観押し付けを危惧する


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 中教審が「道徳」の教科化を答申した。国による価値観の押し付けにつながりかねない動きだ。

 答申は、現在は正式教科ではない小中学校の「道徳の時間」を教科として位置付け、検定教科書や評価制度を導入する内容だ。
 授業は原則として担任が行い、評価は数値ではなく記述式にするというが、子どもの内面に踏み込む分野をどう客観的に評価するのか。甚だ疑問であり、教育現場に混乱をもたらしかねないことを強く危惧する。
 道徳の教科化はもともと、教育改革に熱心な安倍晋三首相が強い意欲を示してきたものだ。
 教育基本法を改正し愛国心条項を盛り込んだ2006~07年の第1次安倍政権下の教育再生会議も道徳の教科化を提言したが、検定教科書や点数評価、教員免許などをめぐり中教審では慎重論が根強く、教科化は見送られていた。
 だが第2次安倍政権は発足間もない昨年1月に教育再生実行会議を設置。同会議は11年の大津市の中2いじめ自殺事件などを踏まえて議論し、いじめ対策と関連付ける形で道徳の教科化を同年2月に提言した経緯がある。
 さらに文科省は教科化に賛成する委員で固めた有識者会議を設け、検定教科書や評価導入を盛り込んだ報告書も作成していた。中教審が議論する前から教科化の方向性が示されていたのは明らかだ。
 特定の価値の押し付けにつながりかねない教科化やそのための検定教科書には自民党や文科省内でも否定的意見があった。だが愛国心教育で首相と気脈を通じる下村博文文科相が押し切っている。
 教科化は、戦前の「修身」の反省の上に立つ戦後日本の教育の重大な転換点となるはずだ。安倍政権は本年度内には教科書作成の基本となる学習指導要領を改定するという。愛国心教育を推進するための基盤づくりとして教科化を急いでいるとしか思えない。
 教科化に対する学校現場の不安は根強い。専門家からも「子どもは本心を隠して迎合した発言しかしなくなる」(教育評論家・尾木直樹氏)などの声がある中、教科化を進めることは間違っている。
 子どもたちの多様な価値観を養い、自ら物事を考えて社会で健やかに成長していくために学校教育に何が求められるのか。国民的な議論を喚起する中で、望ましい道徳教育の在り方を模索すべきだ。