<南風>漂い始める秋の香り


社会
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 夏に始めたこの連載も気づけば中間地点。暑さで食欲が落ちた季節が過ぎ、食べたいものが増えてきたなあと、ふと見上げたそこには微笑みが似合うくらいの淡い色の空と、枯れはじめた葉をつなぐ木が。

 私が通うイモラ音楽院では毎年9月に進級実技試験があり、全力で楽しんだ8月のバカンスを惜しむ間も無く、学生は練習に追われます。

 2年前の秋、留学生に必要なビザ取得で苦戦し、その上イタリアで楽器が置ける不動産が見つからず、引っ越しを何度も繰り返しながら、その都度、脚台すら付いていない電子ピアノと、自分の中にわずかに残るグランドピアノの鍵盤の感触を頼りに日々試験曲の準備をしていました。一度でも沖縄にすがったら、心の中の何かが崩壊し、舞台に立つことなど出来なくなる。海外で、もろい心を鍵盤と同じように握り締める毎日でした。

 そんな状態で弾いた試験曲、ベートーヴェンの「月光ソナタ」は今思い出すだけでも、すぐに手が冷たくなります。それほど緊張していました。

 我が師匠マルガリウス先生は「人生も音楽も時間を止めてはいけない、何があっても強い心で前に進み続けなさい」と話されます。その言葉を胸に長い時間勉強してきたのに、自分の進んだ歩幅の狭さに凹みます。

 今年の試験は、以前は笑顔をあまり見せなかったある男の子の伴奏をしました。その子からそのお礼にと、プレゼントをもらったのです。「心からありがとう」と小さなカードも。とてもうれしい出来事で、彼の成長は私の心を外に連れ出し、秋の柔らかな日差しが更に輝いた瞬間でした。

 こんな美しい時はずっと余韻に浸っていたいけれど、来年の秋「大きく前進できた」と言うためにも立ち止まらずで練習しなくては!
(下里豪志、ピアニスト)