<南風>巨大迷路


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 学生のころ、年上で同級生の亨平と基地のフェスティバルに行った。亨平は優しい。でも、強面(こわもて)で身体がでっかくてハーレーダビッドソンに乗っていた。その後ろに乗ってガルンガルン大きな音を出して行った。はじめて入った基地は、どこまでも基地で、風が吹いていた。

 その17年あとに、おきなわマラソンで嘉手納基地のなかを走った。距離は30キロを超えて、身体がつらく足も痛く、ずっとつづく基地の広さは恨めしかった。応援する人たちが楽しそうなことにも腹が立つ。手渡しされる甘いクッキーもレモネードも、もとは思いやり予算でこっちの税金だよ、と思う。許可なしでは入れない場所に「特別に」入っているということもぐずぐずした気持ちにさせる。

 昔行ったフェスティバルの詳細はもう忘れてしまった。きっと大きいハンバーガーを食べて、コーラを飲んだりしたと思う。

 覚えているのは、米兵手作りの巨大迷路に入ったことだ。1人ずつでトライする。ダンボールと角材でつくられた迷路は相当大掛かりで、2メートル近い壁の向こうは見渡せない。入ってから出るまで、15分程かかっただろうか。

 私がゴールしてすぐ、あとから入った亨平が出てきた。「おお、早かったね、結構難しかったね」と言ったら、「そうだな」と言った。それから亨平は、「お前何枚破った?」と聞いてきた。「え、破らないよ?」と言ったら、「は、破らないと進めないだろ」と言う。亨平は、迷路は壁を破って進むものだと思っていた。

 自己責任論が蔓延(はびこ)り、まっとうな権利を訴える市民ばかりが執拗(しつよう)にお行儀の良さを求められる今の日本で、巨大迷路のことを思い出す。亨平がぶち破った幾枚かのダンボールの壁はいつ発見されただろう。次の人は、破り抜かれた壁を通って行っただろうか。
(上田真弓 俳優、演出家)