<南風>遺伝子による記憶の継承


社会
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 イクサユーバ フキドゥ マヌマヌ ユー ナレー(戦争の時代をくぐり抜けて、今の世になった)。

 私は、1944年1月の生まれなので1歳7カ月で終戦を迎えており、戦時中のことは覚えていないはずです。ところが、疎開のため船に乗って西表島に行ったときの場面や、防空壕での生活などはっきりと覚えているのです。この不思議な現象を、どのように理解すればいいのでしょうか。

 思うに、上記の“記憶”は実体験したことを憶えているわけではなく、折に触れ両親や兄姉たちが話していた戦時中の体験談を繰り返し聞いているうちに私も疑似体験を通して、あたかも自分自身が実体験をしたかのごとく錯覚しているのではないでしょうか。

 人間は、他の動物と違い他人の体験を間接的に学んで追体験することができると言われています。上記の擬似体験は、一種の追体験だと言えるのかも知れません。そうだとすれば、私たちは、後世に残しておきたいと思う貴重な体験は、できるだけ詳細に、かつ頻繁に語り継ぐように努めるべきではないでしょうか。

 なお、擬似体験または追体験とは趣が違いますが、私には記憶の遺伝子による伝達というものがあるのではないかという「願望めいた確信」があるのです。両親のあの目に見えない極小の「精子」と「卵子」が結合して誕生した「子」が、成長するにつれ両親の持っている外見上の特徴のみならず、内面的・性格的な特徴まで継承している厳然とした事実を日常的に目の当たりにするにつけ、両親の「記憶」を遺伝子レベルで継承しているのは、当然ではないかという「希望的確信」があるのです。

 身近な医師に、遺伝子による記憶の伝達について聞くと、医学的にはありえないという意見と、研究されているだろうけど詳細は知らない、ということでした。
(當山善堂、八重山伝統歌謡研究家)