<南風>紙飛行機を飛ばす


社会
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 4月の暑い昼、シュワブの前の歩道が封鎖された。その理由を機動隊は答えない。法的根拠がないからだ。

 私は道を塞(ふさ)ぐ腕の前で仕事先に電話をかけ、機動隊が通さないから遅刻する、と聞こえる声で言う。そのとき演出していた舞台の打ち合わせがあった。

 隣のおじさんは正面から異議を伝える。当然の主張だった。それを聞く機動隊の青年が、横を向き、「寄生虫!」と吐き捨てた。確かに聞いた、「土人」より酷(ひど)い。

 驚いて何も言えないまま時間が過ぎ、なんとか脱出して、打ち合わせ先に着くとすぐにその話をした。「録音しないと駄目だよ、そういうのは」と言われてその通りだと思った。怒って話すうち、ふと一人が、「それ『規制中』じゃない?」と言う。「え?」「ああ!」だから周りの人は驚いてなかったのか。日本語は難しい、と私たちは大笑いした。常習的に尊厳を脅かされれば、そう聞こえもする。

 そのときつくっていた舞台は、架空の街の戦争のあとの話だ。他所(よそ)の国の基地ができ、フェンスの向こうにいる死んだ家族に人々は手紙を送る。最初は書いた手紙をフェンスの前で燃やした。「火気厳禁」と通告されて、次は紙飛行機にして飛ばした。重い戦闘機が大きな影をつくる下を紙飛行機が行く。すぐに紙飛行機も「危険だから」と禁止され、人々は声を録音したカセットテープを投げ入れることになった。元気ですか? 僕は元気です。かけっこは早いですか? 山羊は好きですか? 子どもたちは、一度も会うことのなかった家族へ手紙を送る。

 それからずっと長い時間が経ち、村はなくなり、草花はフェンスを越えて伸びた。ある日、旅人が歩いてきて、土に混じった古いカセットテープを見つけ、持ち帰って聞く。テープからは、ただスウスウと言う音だけが聞こえた。それは、息の音のようだ。
(上田真弓 俳優、演出家)