<南風>鏡越しの友情


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 私が勝手に友と呼ぶ人がいる。大人になってからの友情は得難い。だからこそ、私にはこの人と過ごす僅(わず)かな時間がとても大切だ。

 出会いは15年以上前。急用で髪を整える必要から後先を考えずに飛び込んだ美容室。その時の担当者が彼だった。当時の会話は忘れたが、居心地のよい空間が印象に残った。理容師と客の関係ゆえ、会うのは数カ月に一度程度。それでも彼を友と感じるのは、きっと私にとっての大切な「他者」だから。

 授業で「他者」について問うことがある。他者ってどんな人?他人?よそ者?或(ある)いは自分の人生には無関係な人?私の問いをきっかけに、生徒は他者に意識を向ける。そこで私は切り出すのだ。「他者って『自分を揺らす者』なんだよ」

 人は弱い。だから似た立場の人とつるむ。同じ環境ならばより安心だ。けれども本当に自分を成長させるのは、偏る思考、狭い視野、頑固な心根を揺り動かす者だけ。それが「他者」だ。

 学生時代は塾の講師、卒業後にはすぐに教師の道に進んだ私は、つまり教師以外の人生を歩んだことがない。私にとって、彼は文字通り「他者」であり、私の狭隘(きょうあい)な物の見方を矯正してくれる大切な存在だ。

 今まで多くの言葉を重ねた。故郷の思い出、互いの身の上。家族への思いや仕事に対する情熱。素朴な語り口に誠実さがにじむ。彼を通して、私は自身を省みる。彼は私の髪を整えつつ、その実硬くなりがちな私の「頭の中身」も柔らかく揉(も)みほぐしてくれる。

 先日、肉親を看取った話をしてくれた。父への愛情と尊敬、同じ理容師の道を選んだ誇りと覚悟。赤く潤む目を隠しながら話す姿が鏡越しに映る。私も涙をこらえながら聞いていた。

 「キルバーン」のリムさん!これからも友として、私の髪と心の手入れを宜(よろ)しくお願いします。
(砂川亨、昭和薬科大学附属中・高校教諭)