<南風>するいど かぎさ


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 宮古民謡に「豊年の唄」というのがある。

 くとぅすから ぱずみゃーしーよー(今年を始めとして)サーサー みるくーゆーぬ なうらば(弥勒世になるように)ゆーや なうれ(世よ直れ)サーサー (ハヤシ)よーてぃーば よーいだーきーよーサーサー するいど かぎさぬ(揃う善さよ目出度さよ)ゆーや なうれ(世よ直れ)

 んきゃーん(昔)から、台風が毎年襲来し、時には干ばつに見舞われ、農家にとっては厳しい自然条件の宮古。特に人頭税(にんとうぜい)を納めていた頃の自然災害は、今と比較にならないほどの打撃だったことだろう。先の歌は(これまでは大変だったが)どうか、今年からはすべてが揃(そろ)い、弥勒世、豊年の世になりますようにと願い、唄っている。

 2番以降では粟や米がたわわに実り、貢物として納めたら、残りは壁になるくらい俵として積み上げ、またその残りでは神酒(みき)を造り、役人や親類と一緒に飲み祝おうと唄っている。

 するいど かぎさの「かぎ」は、一般的に「美しい」と訳す。しかし、この唄の場合、それだけではぴったりこないと思っていたところ『宮古史伝』の著者、慶世村恒任がタウガネアヤゴの解説の中で「美(か)ぎは、善きまたはお目出度の意」と書いているのを見つけ膝を打った。豊年の唄の「かぎ」も「善きこと、お目出度」と訳したほうがぴったりくる。粟や米が無事に収穫でき、それらが揃ったら、善きお目出度きことだ、と。

 今年の内地での台風、豪雨の被害の甚大さには言葉を失うばかりだ。実りの秋になるはずが、収穫前の米や倉庫の俵が水浸しになったり、果物や野菜なども大きな被害に。これまでの苦労を思うと胸が詰まる。

 来年はどの地域も、どうか「するいど かぎさ」の豊年の年になりますようにと願うばかりである。

(松谷初美、宮古島市文化協会事務局長)