<南風>色を失う


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄に来たばかりのとき、友だちに教えられて発掘作業をしている首里城にこっそり入ったことがある。埃(ほこり)っぽい灰色の広場で、昔の戦争で本当に何もかもなくなったのだと思った。

 沖縄で暮らし始めたのは1989年で、その年の6月には天安門事件があり、11月にベルリンの壁が壊された。一方で民主主義が暴力で潰され、一方では民主主義によって国を隔てる壁が壊された。沖縄に来た年のことを、私はそのように認識している。

 同じ年に首里城の再建が始まっていたと知った。11月に大きな御材木が大切に運ばれたという。

 それから、知恵と技術によって昔の姿をたどり、鮮やかな朱色の首里城が再建された。琉球舞踊を習うようになっていた私は、庭のすみの仮設の舞台で踊ったこともある。

 琉球舞踊のなかにある、予祝の曲が好きだ。予(あらかじ)め、祝う。望む未来の姿を、すでに起こったこととして歌う。たとえば古典女踊りの「稲まづん」はすでにたっぷり実った稲の束を持って踊る。1曲目、今年は大豊作なので、蔵に収まりきらない米が野積みされるでしょう。テンポが早くなる2曲目は、銀の臼に黄金の軸をたてて擦ってみると、それは「雪の真米」、雪のように真っ白な米だ、と歌う。銀の臼に金の軸、こぼれ出てくる雪のような米、祝福の絵は光る色で満ちている。

 朝起きて、燃える首里城の映像を見て息が詰まった。戦争を知る人は、燃える姿を、また、見ているのかと思うとたまらない気持ちになる。

 多くの人が呆然(ぼうぜん)と悲しむその日も灰色の軍用機は轟音とともに幾度も飛んだ。オスプレイが海で大破したとき、県外マスコミはこんなに報道しただろうか。色とりどりの珊瑚や魚の生きる海には休まず土砂が投げ込まれる。そこで失われる色は取り戻せない。

(上田真弓、俳優、演出家)