<南風>台風19号、リーダーの役割


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 記録的な大雨をもたらした台風19号から1カ月、福島県では31人が死亡した。全国で最も多い犠牲者を出した。大半は高齢者で、多くは自宅で見つかった。車と一緒に流されたケースも多かった。救出途中の消防ヘリから落下、死亡した最悪のケースもあった。

 白河市表郷の友人・滝田国男さんは、目の前で男性が濁流で流された。当時を振り返る。「10月12日午後9時頃、冠水した道路で動けなくなった車を見て、レスキューを呼んだ。運転していた男性は車の屋根に上がり『助けてください』と叫んでいた。消防団がサーチライトを当てたが雨がカーテンになって、男性を確認できなかった。間もなく、声が聞こえなくなった。助けられなくて残念」。男性は3日後、遺体で発見された。

 断水は2週間続いた。10月14日、相馬市の特別養護老人ホーム「相馬ホーム」に飲料水を届けた。施設長の石川博さんが言った。「節水を心がけているが厳しい。風呂は無理。給水は隣の宮城県まで取りに行かなくてはいけない。病院や老人ホームのような公共施設を、国がもっとピンポイントで支援してほしい。感動したこともあった。立谷秀清相馬市長自ら防災無線で、市民に自分で命を守る対策を取るよう呼び掛けた。防災意識が高まった」

 相馬ホームに、岡山県総社市の片岡聡一市長が激励に駆けつけた。相馬市は昨年の西日本豪雨発生時に、総社市へ支援物資を送っている。こんどは片岡市長自ら、支援物資を持って相馬市に来てくれた。片岡市長が言った。「瓦礫(がれき)の山を目の当たりにして、西日本豪雨を思い出し、胸が苦しくなった。行政の使命は、住民の命を守ること。そのためには、全国とのネットワークと縁を大切にすること。それを教えてくれたのが立谷市長だった」。相馬市では間もなく、首里城復興支援募金が始まる。
(大和田新、フリーアナウンサー)