<南風>ヒーロー


社会
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 とある日曜日。私は大型スーパーで、妻の買い物を待つ間の休息場所を探す。みつけたベンチの隣には、ひと足先に幼い兄妹が座っていた。女の子は三歳ぐらい。お兄ちゃんは五、六歳だろう。買い物中の親を、ここで待つよう指示されたか。けれども妹は動きたい盛り。少しでも目を離すと、ベンチからの“逃亡”を企てる。お兄ちゃんは「ダメだよ」「きちんと座って」と優しく言いながら、妹の手をしっかりと握っていた。

 向こうの広場ではヒーローショーの歓声。悪役の憎々しい声がこちらにも届く。お兄ちゃんは、じっと広場の音に聞き耳を立てる。時々は場面変化に敏感に反応する。ヒーローが気になって仕方ないようだ。

 しばらくすると、進行役のお姉さんが呼び掛けた。

「ああ、このままじゃ負けちゃう。みんな~、大きな声で『頑張れ!』って応援してあげて!せーの、頑張れー」舌足らずのかわいらしい“がんばれー”が、輪唱となって続く。どうやらヒーローは、子どもたちの応援が力の源(みなもと)らしい。

 隣が気になり、そっと横を見る。お兄ちゃんは相変わらず妹の手を握り、壁のポスターを睨(にら)みつけながら、何度もつぶやく。「がんばれ、がんばれ、がんばれ…」。それは、窮地(きゅうち)のヒーローへの祈りか、それとも自身への励ましか…。

 私は胸が熱くなった。本当なら正義の味方を間近で見たかったろう。ヒーローの足下で精いっぱい声を出して応援したかったろう。でも、今は妹を守るのが君の最重要任務なんだよね。

 急に妹が手をふりほどき走り出した。お兄ちゃんも後から続く。どうやら待ち人を見つけたようだ。妹が母親に飛び込むのを見届けると、お兄ちゃんはそのまま広場に向かって、転がるように駆けてゆく。

 妹思いの小さなヒーローは私に温かい心を残し、疾風(はやて)のように去っていった。
(砂川亨、昭和薬科大学附属中・高校教諭)