<南風>奇跡のピアノ物語


社会
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 「東日本・津波・原発事故大震災」の取材を通して忘れられないピアノがある。いわき市立豊間中学校体育館のグランドピアノだ。2011年3月11日午前、卒業式が行われ47人が巣立った。卒業生を送る最後の曲がKiroroの「未来へ」だった。大津波は校舎1階と体育館を破壊。薄磯地区は120人が犠牲になった。幸い子供たちは無事だった。横倒しのピアノは奇跡的に原型を留めていた。

 震災の年の5月の連休、体育館の瓦(が)礫(れき)が自衛隊によって撤去された。砂だらけのピアノは、体育館の中央に移された。学校の再建を願って。自衛隊の善意を知ったPTAが動いた。5月22日、体育館に学校関係者300人が集まった。ピアノの上に真っ赤なカーネーションが置かれた。その時1人の男子高校生が鍵盤に触れた。音が出た。「僕に校歌を弾かせてください」。砂だらけのピアノに命が宿った瞬間だった。体育館に校歌が響いた。

 何度か、このピアノを放送で取り上げた。8月28日、お笑い芸人の「爆笑問題」と豊間中体育館を訪ねた。ピアノはなかった。修理に出されたのか。それとも…

 ピアノは、地元のピアノ調律師・遠藤洋さんの倉庫にあった。朽ちていくピアノを目の当たりにした遠藤さんは、学校・ピアノの寄贈者に、修理を任せてほしいと頼んだ。8月1日、家族5人でピアノを倉庫に運んだ。そして、1万個にも及ぶ部品の取り換え作業を通してピアノは蘇った。

 11年の紅白歌合戦で、嵐がこのピアノで「ふるさと」を歌った。伴奏した櫻井翔さんは、演奏が終わるとピアノに向かって深々と頭を下げた。翌年の3・11、豊間中の生徒が「校歌」と「未来へ」を歌った。

 国内外70カ所以上で演奏しているこの奇跡のピアノは、令和2年1月13日那覇市で、沖縄と福島の「未来へ」の調べを奏でる。
(大和田新、フリーアナウンサー)